ふしぎのトビラ

2008年1月12日(土)放送 〔第22回〕
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伊達政宗公が愛した山がある

 宮城県雄勝町には、伊達政宗公が一般の人が入ることを禁じた「お留(と)め山」がある。そこでとれる“雄勝石(おがついし)”で作られた硯(すずり)を献上され、それがとても良いものだったから。 この雄勝石は屋根(現在も東京駅の屋根に雄勝スレート)や壁に使用されています。ではどんな性質の石なのでしょう。雄勝石は長い年月をかけてドロがつもり固まって出来ました。きめがこまかくて防水性(水がしみこみにくい)に優れています。しかも決まった方向に簡単に割ることができるので、加工しやすいのです。

硯が特によい理由はもうひとつ。表面はつるつるのようですが、実は人がさわってもわからないくらいの小さなザラザラが!このザラザラが、習字の墨(すみ)をするのに一番あっているのだそうです。つるつるの石や、見てザラザラと分かる石も用意して実験してみましたが、うまく墨をすることはできませんでした。このような事から生産が盛んになり、現在は全国の90%の硯は雄勝町で生産されているのだそうです。
伊達政宗公が愛した山がある

伊達政宗公が愛した山がある
鶴ケ城 今も戦い続ける石垣

会津若松市のシンボル鶴ケ城。この土台をかこむ石垣は400年以上前に造られました。城を建てる時に山のようにもった土がくずれない様に造られ、戦(いくさ)の時には敵の侵入から城を守っていましたが、長い年月もうひとつのものと戦い続けていました。それは、水圧です。石垣の内側の土には雨水がしみこんでたまっていきます。それが外に出ようとして石垣を押しているのです。

水圧は上よりも下にいくほど強くなります。つまり石垣も下のほうが強くなければくずれてしまう。そこで、まっすぐではなく下にむかってひろがるように斜めに積まれているのです。 技術が発達していない時代にあの大きな石を運んで積むだけでも大変なことなのに、 強さも考えた上で造っていたなんてすごいですよね。
鶴ケ城 今も戦い続ける石垣

鶴ケ城 今も戦い続ける石垣


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