題字:加藤登紀子

ブログ

H29.9.12(火)放送
閖上で本格操業“北限のしらす”
東日本大震災より6年半。津波で甚大な被害を受けた名取市閖上地区は、復興の歩みを進めています。昨年5月の水産加工団地の新設、また今年7月には災害公営住宅が完成し入居が始まりました。
しかし、漁業には未だ影響が残っています。閖上の漁業者は、震災前の3分の1ほどになりました。また、閖上名物のアカガイも貝毒の影響を受け、休漁する時期もあるそうです。

そんななか、新たな試みが始まりました。それは、「しらす漁」。以前は、福島県沖が北限とされてきたしらすですが、昨年に宮城県の認可がおりました。新たな「北限のしらす」として、被災した漁業者の新たな収入源となっています。
初めてのしらす漁に、長年漁師を営む小斎力男さんも試行錯誤を続けています。操業開始からおよそ2ヶ月、漁獲量も安定し、そのほとんどが地元の水産加工会社などで取引されています。「宮城県に“しらす”があると知ってもらえるように頑張りたい」と小斎さんは力強く語ってくれました。

閖上のしらすは、飲食店での取り扱いも増えています。閖上さいかい市場にある「漁亭 浜や」では、生しらす丼の提供を先月より始めました。甘みに特徴のある閖上のしらすは、醤油を数滴垂らすだけで美味しくいただくことができます。「浜や」では、さいかい市場店に限らず全4店舗にてしらす丼を提供しています。

「漁亭 浜や 閖上さいかい市場店」
住所:名取市美田園7丁目1-1
TEL:022-398-5547
営業:午前11時~午後6時(水曜日定休)
   火曜日のみ午後2時まで

<第1回閖上しらす祭り>
日時:9月24日(日)午前9時~午後1時
場所:閖上水産加工団地内
H29.9.5(火)放送
雄勝の花畑 新たな一歩を前に
津波の被害が大きかった石巻市雄勝で、人が集まる花畑を作ろうというプロジェクトが進められて来た事は、以前もご紹介しました。その憩いの庭が今、新たな局面を迎えているので取材しました。

雄勝町の海から600mほど内陸の津波被災地に「雄勝ローズファクトリーガーデン」があります。人口が震災前の3分の1近くに激減した雄勝地区で、 地域の交流拠点としての役割や、 雇用の創出をめざしています。およそ1,300㎡の園内はバラを中心に多くの草花が咲き誇り、誰でも自由に見て楽しむ事ができます。

震災後ずっとこの場所を見守って来たのが、徳水利枝さん。徳水さんは震災前、塾の講師をされていましたが、津波で母親と叔母、それに従弟を失いました。
震災の年の夏、実家の跡地に亡くなった人を弔うためホオズキなどを植えたのがローズファクトリーガーデン」 の始まりです。のべ1000人以上というボランティアや造園の専門家らに支えられ、花畑は成長を続けて来ました。

しかし、多くの人の思いが込められて来たガーデンはいま移転を余儀なくされています。
2014年、そばを通る国道398号線と県道のルートを変更する復興計画が示されたのです。5m以上の嵩上げと拡幅工事が行なわれるのに伴い、国道と県道がガーデンの敷地に半分ほどかかってしまいます。

計画が示された当初は、理不尽に感じたという徳水さんでした。地元の人達、あるいはここに思いを寄せている人達にとって、何が必要かという事を行政がきちんと考えてくれていないように思えたといいます。

しかし日照時間など植物にとっての条件や、バリアフリーの必要性などを感じるようになり、悩んだ末、より愛されるガーデンへと、去年移転を決意しました。現在の場所より50mほど内陸側、趣旨を理解した石巻市から無償で借りることができた土地に、石垣や門、温室などが、整いつつあります。2,000㎡といいますから、今の敷地の1.5倍の広さです。

生まれ変わるガーデンは、今までと違う新しい意味を持つかも知れないと徳水さんは語ります。
これまで「雄勝ローズファクトリーガーデン」は、地元の人が亡くなった人を思う場所、弔う場所としての意味がありました。津波が何もかも奪い去ってしまった故郷で、そこだけオアシスのような癒しを感じられる場所です。ここに住んでいた人達が「つながり」を感じる場所です。

新しいガーデンは、震災後にできた「つながり」を確認する場所になるかも・・・と、徳水さん。
ボランティアや、ここに思いを寄せてくれた人達にとってのシンボルになって行くだろうと。

そう思いつつ徳水さんは、その時その時で誰かにとって何かの意味を持つのだろうから、とにかく続けることを目標に今後も頑張りたいと話していました。

宿根草は10月末から、大きな植物は冬場を使って移動させ、来年バラが咲くまでには新しい「雄勝ローズファクトリーガーデン」を立ち上げる予定です。
H29.8.4(金)放送
志津川の名店 再オープン!
季節料理 志のや
震災から6年4ヶ月が過ぎた南三陸町志津川。

震災前は、志津川中学校近くで、およそ10年営業していた人気のお店。
しかし、海から2キロほどしか離れていない店には震災の津波が押し寄せ、全て流されました。
大震災の翌年、仮設の店舗でオープンした南三陸さんさん商店街に志のやの高橋 修さんも参加。
お店で働くかたわら、旧商店街の牽引役となり、様々なイベントや新しいグルメ開発に取り組むなど地域を盛り上げてきました。
頼りになる商店街のアニキ的存在だった高橋さん。

そして、今年3月3日、さんさん商店街が新たにかさ上げした場所にオープン。
多くのお客さんが訪れる中、高橋さんの姿は、知人のお茶屋さんにありました。
新しい商店街には出店しなかったのです。
高橋さんは、震災後、仮設店舗に入る時から、ゆっくりとした食事ができたり、飲食できるような店をもう一回できないかなと考えていたからです。

今年7月28日、かつての場所に帰ってきた『志のや』。
この日を待ちわびた客を迎え、厨房は大忙し。
四季折々の旬の味、志のや自慢の海鮮丼、地元の魚を使った日替わり定食。
お客さんは思い思いに料理を楽しんでいました。

高橋さんは語ります。
「やっと普通に戻れた。ここからがスタート。」
地元の人々の憩いの場所がまた一つ復活しました。

真新しい厨房なので、慣れてからいろんなメニューを出していくそうです。

「季節料理 志のや」
住所:南三陸町志津川字御前下62-4
TEL:0226-47-1688
営業:午前11時~午後2時/午後5時~午後9時
H29.6.14(水)放送
岩手・宮城内陸地震から9年 イワナ養殖の今
2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震から9年が経ちました。大規模な土砂崩れなどで17人の方が死亡し、6人の方が行方不明のままです。
私は、栗駒山の中腹・耕英地区に住む数又貞男さんを訪ねました。
数又さんは栗駒出身の65歳。昭和40年代に日本初とされるイワナの養殖技術を確立した父・一夫さんの後を継ぎ、山の恵みとともに暮らして来ました。そこを襲ったのが、9年前のあの地震でした。

激しい揺れに生け簀の水が1ヵ月ほど濁ってしまったのと、ふ化場の稚魚の多くが水から飛び出して死んでしまったそうです。
また東日本大震災では養殖施設に大きな被害はなかったものの、原発事故による風評被害で大手スーパーとの取引が停止。 さらに追い討ちをかけるように、おととし1月には食堂と物置が火災で全焼したのです。

度重なる苦難を乗り越えて再建された 「岩魚の館」 で、数又さん自慢のイワナ料理を味わう事にしました。まずは蒲焼を使った、定番の岩魚重(1,500円)を頂きます。
川魚なのにコクがあるうえ、ふっくらした身に甘辛いタレがからみます。うん、美味しい!
さらに「岩魚コラーゲンボール」(500円)なるアイデア新メニューもありました。イワナの頭以外の部分を、丸ごとフードプロセッサーですり身にしたつみれです。皮の部分にコラーゲンが多く含まれているという事で、プリプリの感触が楽しめる数又さん渾身のアイデア料理です。
こうした様々な味わい方ができるイワナ。しかし、岩手・宮城内陸地震では巨大な地滑りで大きな被害が出ました。地下水脈の変化で、養殖場は水不足の影響を受けています。ここ数年は雪解け水も少なく、深刻だそうです。水が減ればその分 以前より養殖の規模を小さくするしかないという事で、9年前の地震の影響は色濃く残っています。

それにしても、辛い事が続く中で、栗駒の山を離れようと思った事はないのでしょうか?浮かんだ質問を、敢えて数又さんにぶつけました。
数又さんは、父親の姿を見て来たから・・・と答えました。父親が苦労してイワナの養殖に取り組んで以来50年。その背中を思い出すと、ちょっとやそっとの事ではあきらめられないと。
体の動く限りここでもう少し、夫婦二人三脚で頑張って行きたい・・・。数又さんは静かに力強くそう語っていました。

「岩魚の館」
栗原市栗駒沼倉耕英南127
TEL:0228-46-2136
(不定休・人数が多い時は念のためご予約をお願いします)
H29.5.3(水)放送
石巻で「北限のオリーブ」栽培に挑戦!
石巻市では震災後、新たな特産品を開発して復興の象徴にしようという活動が本格化しています。それが「北限のオリーブ」です。
石巻市北上町月浜の高台に、苗木が100本植えられている農園へお邪魔しました。私の背丈ほどの、まだ幹も枝も細い苗木です。

震災後、石巻市から委託を受けた市内複数の農業法人がおととし、一大産地である香川県小豆島の農家から指導を受け、試験栽培を開始。市内各地であわせて150本ほどを植えたところ、去年は3割ほどの木で実がなりました。
しかしオリーブというと本来、温かい地方の植物のはずです。オリーブの栽培に挑戦する4軒の農業法人の1つ「みのり」の代表理事・千葉昭悦さんによると、試験的に植えた雄勝や網地島で多くの木が無事に冬を越したことから、これは大丈夫だと関係者が確信したそうです。比較的雨が少なく極端な寒さがない石巻の気候のもとで、オリーブの栽培が十分可能だと分かったのです。

とはいえ、お手入れは大変。千葉さんによると、特に地面の草刈りがひと仕事なのだとか。
適切な管理を怠ると、害虫が付きます。根元に卵を産み、かえった幼虫が木に穴を開けてしまうガの一種や、やはりガの仲間で葉に卵を産み、幼虫がその葉を食べてしまう物もいるそうです。
石巻では初めてとなるオリーブの栽培は、試行錯誤の連続なのです。

石巻市と市内の農家では、生産力の向上をめざし今年1月「北限オリーブ研究会」を立ち上げ、この春あらたに250本を植樹。来年度中に市内1500本程度にまで、オリーブの木を増やす計画です。

千葉さんはじめ、たずさわる農家の皆さんは北限のオリーブ栽培を通して、収穫やその後の商品化とは別に3年後の東京オリンピックに向けた目標を掲げています。それは、オリーブの葉で月桂冠を作り、メダリストにかかぶってもらうというアイデア。
「日本人選手が表彰台でガッツポーズしてくれたら最高だね」と、千葉さんは笑顔で語って下さいました。
H29.4.11(火)放送
石巻高校ヨット部復活!
東日本大震災から6年1か月が経ちました。被災した石巻高校ヨット部は 一時、活動休止に追い込まれましたが、 この春 復活を果たしたとのことで取材しました。

石巻高校ヨット部は、市内の佐須浜(さすのはま)漁港を中心に練習を行なっています。昭和28年スタートの伝統ある部も、震災の津波でヨットや艇庫が壊滅的な被害を受け、一時 活動休止に追い込まれました。
震災の年の5月以降、OBが集まりガレキの撤去などの復旧作業を行ないました。
そして2014年春、やはりOBである伊藤先生が石巻高校に数学の教師として赴任すると、自らも汗を流したヨット部を立て直すべく、愛好会として活動を再開します。
震災前10艇ほどあったものの全て壊れてしまったヨットは、全国からの支援で6艇を確保。ヨットをしまう艇庫も去年、修繕が完了しました。東北大会上位入賞など2年間の愛好会としての活動が評価され、新年度からヨット部復活が生徒総会で認められたのです。

練習を見学させて頂きました。この日は新3年生の男女ペア2組が、石巻湾の沖へ それぞれヨットを出します。顧問の伊藤先生は、ゴムボートで近くから指示を出します。必死に対応する部員達。伊藤先生の操るゴムボートからその様子を見ていて、不覚にも涙が出ました。大自然が彼らの教科書なのです。伊藤先生も、できる限り手を貸すことなく部員達を見守っていました。

石巻高校ヨット部は、新入部員を勧誘してインターハイ出場を目指し、頑張って行きたいとのこと。石巻高校のヨット部だけでなく、県内のマリンスポーツは津波で大きな被害を受けましたが、様々な支援をうけて再び立ち上がった人達がいます。
「海は色々な物を奪って行ったが、また与えてもくれる素晴らしい存在」という新3年生の練習後の言葉が、たいへん印象的でした。
H29.3.28(火)放送
平原綾香が伝えるわせねでや
ウォッチン!みやぎから生まれた『わせねでや』の曲が県内外、様々な形で歌われています。
そして、新たな展開がありました。

去年3月、川内萩ホールで行われた復興コンサートで仙台フィルハーモニー管弦楽団の演奏をバックに、『わせねでや』を披露した平原綾香さん。
様々な思いを受け、去年のコンサートツアーでは、必ず、『わせねでや』を歌っていた平原さん。
思いを込めた歌声は反響を呼び、「ぜひ、CD化してほしい」という声が多く届き、今回、レコーディングを決意。

平原さん
「みなさんに歌い継いでいただけるように、いいレコーディングができました。より多くの人に聴いてほしい。これからも、応援し続けます。」

「わせねでや」は、4月26日にリリースされる「LOVE2」のボーナストラックとして収録されます。
そして、4月から、ウォッチン!みやぎのエンディング曲にもなりますので、お楽しみに。
H28.12.21(水)放送
南三陸町で移動販売
舞台は、南三陸町志津川。
かつての町の中心部で営業している移動販売店があります。
食楽 しお彩の後藤さんが店主。
震災の年の夏から移動販売店での営業を開始。
扱うメニューの中心は揚げ物です。仮設住宅暮らしで揚げ物を作るのが難しいという声を聞き、始めました。
避難所で住民の方から早くしお彩の料理を食べたいと言われたのがきっかけ。

震災前も、志津川で営業していた食楽 しお彩。
人気メニューは、海の幸をふんだんに使ったどんぶりでした。
しかし、オープンしておよそ3年で店は津波で流されたのです。
移動販売を始めて5年半、今でも町内の仮設住宅を回ります。
しかし、この形での営業は年内いっぱい。後藤さんは次のステップに進もうとしています。
2017年3月3日、オープンする「新さんさん商店街」へ出店します。

後藤さん
「不安もあるんですが、これから商店街のみなさんと協力して町民のみなさんを大事にしながら観光客を取り入れて南三陸町を盛り上げたいと思っています。」

新たな船出を迎えようとしている『食楽 しお彩』。
後藤さんはこれまでの感謝と未来への決意を込めて、移動販売店での日々を締めくくります。
不安と希望、様々な思いを胸に復興への大きな節目を迎えようとしています。
後藤さんは、移動販売を続けてきたことで、町の復興の様子を間近で見ることができたとおしゃっていました。
新たな店を通して、町を盛り上げ、交流人口を増やしていきたいということです。
H28.9.9(金)放送
亘理の名店が再オープン!
県の南東部の海沿いにある亘理町荒浜地区。この地で長年愛されてきたのが「旬魚・鮨の店あら浜」。
かつては漁師だった塚部久芳さんが23年前に故郷に構えた店です。
名物は、ネタが丼からはみ出る漁師丼でした。
しかし、海から1キロほどしか離れていない店には震災の津波が押し寄せ、奇跡的に残った看板だけが元の場所に残されていました。

震災からわずか半年後の2011年10月には仙台で新たな店をオープンさせます。
店名は故郷の地名で「わたり あら浜」。息子の慶人さんが中心になり、母の慶子さんも店を支えます。
店名には「必ず古里へ戻る」という強い意志が込められていました。

しかし、建設会社の選定に時間がかかるなどし、去年の11月、ようやく地鎮祭にまでこぎつけました。

そして、震災から5年が過ぎた先月10日、ついに、かつての場所で営業を再開したのです。
この日を待ちわびた地元の客が続々と来店しました。
四季折々の旬の味、亘理の郷土料理が味わえるお店。漁師丼も復活です!
13種のネタがのった豪華どんぶり。

「亘理にかつての賑わいを取り戻したい」との思いで家族が果たした地元での再建。
ふるさとの味でこれからも、荒浜地区を盛り上げます。
                                           
                                                                    亘理の店の体制が整い次第、仙台の店は慶人さんが営業を続け、親方(久芳さん)と女将(慶子)さんが中心になって亘理の店は切り盛りするそうです。

今月からはらこ飯。あら汁も付きます。
サケの切り身は雄の身だけを使うので脂が乗っています。
このご飯はサケを使ってダシをとって炊いたもの。
このはらこ飯のシーズンからが、本当の意味でのオープンとご主人は話していました。


「旬魚・鮨の店 あら浜」
亘理町荒浜字中野183-8
TEL:0223-35-2585
営業:午前11時~午後2時/午後5時~午後8時
定休日:月曜
H28.5.11(水)放送
子どもたちが歌い継ぐ”わせねでや”
番組のエンディングテーマにもなっている『わせねでや』の曲が県内外で歌われ、多くの方に歌い継がれています。
そして、仙台南高校の子どもたちが、海外のチャリティーコンサートに出演し、そこで集めた寄付金を塩釜市に届けました。

3月下旬、仙台南高校 合唱団の代表12人の生徒がアメリカでのチャリティーコンサートに出演し、『わせねでや』を披露。思いを込めた歌声は反響を呼び、およそ、17万円の寄付金が集まりました。
今月2日、仙台南高校の合唱団は塩釜市へ。
塩釜市浦戸地区に、アメリカでのコンサートと、その後寄せられた寄付金を届けました。
その後、部員43人で、浦戸諸島の一つ桂島へ向かいました。
わせねでや誕生のきっかけとなった内海和江さんに会うためです。
ほとんどの生徒は、この島を訪れるのは初めて。まずは、内海さんのもとへ。
島に住んで80年の内海和江さん。
内海さんが震災直後に綴ったに詩には、島の風景、復興への思いが、つづられています。
この詩が、『わせねでや』のもとになりました。
生徒たちは内海さんが愛する島を巡りました。菜の花畑、そして、桂島海水浴場。
ここで、島民のみなさんにわせねでやの歌を届けました。

歌い継がれている『わせねでや』
仙台南高校では、後輩に受け継がれている。

<合唱団コメント>
@感情を込めて歌えた 心の底から歌がいいなと感じた。
@どんどん次の代へ引き継いで私たちも歌い続ける。 @こういう風に見て歌うっていうことがなかったので、
 今回のことを通して、今まで以上に音楽のチカラで、復興に役立てていけたらなと思います。
H28.2.11(木)放送
石巻日日こども新聞
石巻の子どもたちがある取り組みで、震災と向き合い活動しています。
その取り組みが、この石巻日日こども新聞。
石巻日日新聞社の協力のもと、石巻市内の小学生から高校生を中心に制作。
2012年3月11日から、3ヶ月に1回、発行しています。
活動の拠点は、市の中心部にあります。毎週土曜、およそ20人の子どもたちが集まり、新聞作りに挑戦しいています。
現場での取材や写真撮影、原稿作成・編集といった新聞制作のほとんどを、こどもが記者となり行っています。

・こども記者の取材を受けた方談
こどもたちがいろんな所をまわって被災地の現状を伝えているのは、すごい強いこと。
震災はこどもたちにとってもショックな出来事だったと思う。そのショックな出来事にもめげずに向き合っているということは、大人顔負けの力があると思います。

3ヶ月に1回、東日本大震災の月命日である11日に、発行されている石巻日日こども新聞。
読みたい、興味を持ったという方は、こちらまで。

一般社団法人キッズ・メディア・ステーション 022-721-3143

メール info@kodomokisha.net
H27.6.16(火)放送
亘理・ごはんと麺の店 見晴 息子が受け継ぐ父の味
震災で大きな被害を受けた亘理町荒浜の民宿が、内陸へと移転し、6月10日、飲食店として再オープン。

「ごはんと麺の店 見晴」
住所:亘理町東郷147-7
TEL:0223-36-9909
営業時間:
 午前11時~午後3時(ラストオーダー 午後2時30分)
 午後5時~午後9時(ラストオーダー 午後8時30分)
定休日:火曜日
H27.6.15(月)放送
岩手・宮城内陸地震から7年・・・栗原市栗駒 イワナで再起をかけるご夫婦
H27.3.16(月)放送
石巻市渡波 ロングビーチハウス
H26.2.14(金)放送
地域の人々による地域復興のための働く場 産直 はま道(亘理町)
H26.1.31(金)放送
被災した浜に活気を! 食堂 浜友(石巻市・佐須浜)
H26.1.17(金)放送
亘理の老舗食堂 休業へ・・・亘理町荒浜 かとうや
H25.12.13(金)放送
子どもたちが歌い継ぐわせねでや
H25.11.29(金)放送
父の遺志継ぐ娘の思い・・・亘理町荒浜 かとうや
H25.11.18(月)放送
忘れちゃいけない味がある! 名取市閖上のたこ焼き
H25.10.21(月)放送
宮城の海の魅力を伝えるダイバー 石巻市渡波
H25.10.11(金)放送
故郷気仙沼で再開! お食事処 浜の家
H25.9.20(金)放送
東松島市野蒜 地域の希望へ 希望のあかり
H25.9.6(金)放送
山形と宮城“つながる”絆 族 with FREIEND‘S
H25.8.23(金)放送
東松島市 千本の地蔵を彫る住職 10年前の地震を教訓に
H25.8.2(金)放送
桂島 鬼ヶ浜ビーチクリーン大作戦
H25.7.26(金)放送
加藤登紀子withみちの空×仙台南高合唱団がTBC夏まつりでトリを飾る
H25.7.15(月)放送
塩釜・桂島でビーチ再生 続編
H25.7.12(金)放送
仙台南高校続編 高校生が歌い継ぐ‘わせねでや‘
H25.6.14(金)放送
岩手・宮城内陸地震から5年・・・栗原市栗駒の今
H25.5.30(木)放送
高校生の心に響いた“わせねでや”その誕生の地へ!
H25.5.24(金)放送
被災した宮戸の民宿の女将が食堂で奮闘
H25.5.14(火)放送
高校生の心に響いた“わせねでや”
H25.5.10(金)放送
青い鯉のぼりプロジェクト 続編
H25.5.2(木)放送
青い鯉のぼりプロジェクト 東松島市大曲浜
H25.4.26(金)放送
震災から2年1ヶ月・・・熊谷育美さんが見た気仙沼
H25.4.22(月)放送
塩釜・桂島でビーチ再生 続編
H25.4.11(木)放送
鳴瀬の未来へ 新校歌を加藤登紀子さんが制作
H25.4.3(水)放送
気仙沼の名店 再起をかけ奮闘中
H25.3.13(水)放送
子どもたちがダンスで笑顔発信!
今月10日、仙台サンプラザホールで 『被災地で未来に向かう子供たちを応援する』をコンセプトにしたイベントが開催されました。出演するのは、以前もお伝えしたスマイルフォージャパン。
被災した子供たちに何かをしたいという思いから仮設住宅を訪問し、こどもたちにチアダンスを教えました。
このイベントには、スマイルフォージャパンメンバーが、以前、ダンスを教えにいった亘理と東松島の子どもたちも出演するのです。
会場には、続々とお客さんの姿が・・・そんな中、スーテージの上では、スマイルフォージャパンメンバーと子どもたちが動きの最終確認!
フェスティバルには、子どもから大人まで、様々なジャンルのダンス・音楽・パフォーマンスなどを披露する県内外から総勢27団体およそ500人が出演。
宮城県警察音楽隊が奏でるメロディーに合わせて、いよいよ、スマイルフォージャパンメンバーと子どもたちのダンス発表です。子どもたちの踊りを見て、観客からは笑顔がこぼれます。
イベントの主催者からフィナーレで『わせねでや』を歌いたいという依頼を受けた加藤登紀子withみちの空メンバーのヒザシさん。リハーサル室で子どもたちと歌の練習。
そして、フィナーレ。
宮城県警察音楽隊の演奏と観客・出演者のみなさんで、『わせねでや』の合唱。
わせねでやが会場に響き渡りました。
スマイルフォージャパンのこどもたちは、中学生。
今後も仮設住宅の子どもたちに定期的にダンスを教えにいきたいなどと話していました。
とにかく笑顔にさせたい。震災に対する意識が高いこどもたちでした。
H25.3.12(火)放送
ありがとうの詩イベントで加藤登紀子withみちの空が“わせねでや”を唄う
H25.2.28(木)放送
ダンスで笑顔を!
亘理町公共ゾーン仮設住宅。現在は、亘理・山元・南相馬から来た、445世帯がここで生活しています。
仮設に住む、ダンスをしたい子どもたちが集まった集会場。そのダンスを教えているのは、スマイルフォージャパンというチアダンスチーム。仙台・七ヶ浜・山形の中学生が学校に通いながら、チアダンスを練習し、全国大会を目指しています。被災した子供たちに何かをしたいという思いから今回、初めて、チアダンスを教えることになりました。
震災により、住む所も学校もバラバラになってしまい環境が一変。
唯一、メンバーの心のより所はチアダンスでした。
そんなメンバーの思いも伝わり、ダンスを教えてもらった子どもたちからも笑顔がこぼれます。
この日は、矢本運動公園仮設住宅にも訪問。393世帯およそ1200人の方が生活している場所です。
保護者や仮設に住む方が見守る中、練習がスタート。
子どもたちのダンスを見て思わず笑顔も・・・
震災後、おおぜいの方に助けられ、それがいかに大切か気づかされたチアメンバー。
そのことを忘れないようにしたい・・・という思いでダンスを教えています。
ダンスを教えにいったチアダンスチーム。そして、ダンスの楽しさをしった子どもたちともに、忘れられない日になりました。
H25.2.13(水)& 2.20(水)放送
桂島ビーチクリーン大作戦!前編・後編
1月下旬の早朝・・・マリンゲート塩釜には、たくさんの荷物を持った方たちが、続々と集まりました。
その正体は、塩釜市浦戸桂島にボランティアに行く方。集まった方は、日帰り・1泊する方を合わせて、およそ70名。代表を務めるのは、つながりプロジェクトの勝又三成さん。
以前、番組でもお伝えした鬼ヶ浜ビーチクリーン大作戦。
島に住む三浦さんとボランティアで去年6月から活動しています。震災で砂浜に漂流した流木やゴミ・タイヤの片付けなどビーチ再生を目指すもの。
そして、今回は、海中に沈むガレキ調査・砂浜に埋まった船の掘り起し作業など、ダイバーと南三陸歌津から4人の漁師もかけつけました。
漁師の方は、実際、被災し、ボランティアやたくさんの人に支えられたからこそ、こういった活動に協力したいという強い思いがありました。
塩釜市浦戸桂島・・・震災で大きな被害を受けた島の一つ。桂島の全住居83軒のうち42軒が全壊。
仮設住宅に住んでいる方もいますが、島を離れている方も。
桂島海水浴場の隣りに位置する鬼ヶ浜。知る人ぞ知るプライベートビーチなんです。
海水浴場にするには海底のガレキの掃除と砂浜に打ち上げられている大きな船を片付ける必要があります。水を含んだ砂の掘り起し作業は、かなりの重労働。
ダイバーはガレキがある場所へ・・・海中には、大きく成長した海藻類。
しかし、未だにガレキも。ロープや網などの漁具が海底に埋まっていたり岩にかかっているんです。
それを、ダイバーがナイフで切り、船に引き上げます。
漁師が持ってきた縄を砂浜から掘り出した船にかけます。重機などが入れない場所のため、大型船で、船を引き上げるのです。海が浅いため、近づける距離は砂浜から200メートルほど。
ついに、砂浜に埋もれた船が1隻引き上げられました。
引き上げられた船は、桂島桟橋近くの岸壁へ運びます。
島民の方の重機によって、船が岸壁に引き上げられます。この船は、重機によって解体され処分されました。
1隻引き上げたものの、鬼ヶ浜に埋もれている船は大型船・小型船合わせてまだ3隻残ったまま。
夏の海水浴場オープンに向けビーチクリーン大作戦は続きます!
全国各地からボランティアが。
話を聞くと、被災地に足を運ぶ目的の方や交流や体を動かしたいなど様々。鬼ヶ浜のビーチクリーン大作戦は、長続きしているボランティア。中には、島のお母さんの手作り料理を目当てに訪れる方も。
島の観光スポットの海水浴場をオープンさせ、観光客を呼び元気な島にしたいと、みなさんおっしゃっていました。
ボランティアの数が減少している中、こういった活動はありがたい。
H25.1.30(水)放送
東松島を加藤登紀子さんとC.W.二コルさんが訪問!
1月21日、東松島市東名地区に登紀子さんの姿が。
同行しているのは作家・環境保護などで活躍しているC.W.二コルさん。
お二人は、市の職員の案内で津波被害を受け、排水機場の工事が進められている場所へ。
『現実はまだまだ厳しい。復興どころか復旧すらままならない』
お二人は、同行している市の職員の話を聞いていました。
続いてお二人が向かったのは、鳴瀬第二中学校。海からおよそ200メートルの距離にあった学校は津波の直撃を受けました。
二コルさんは現在、東松島市であるプロジェクトを進めています。登紀子さんを連れてその場所へ。
去年2月から、東松島市で復興の森づくりと二コルの森の学校プロジェクトをスタートさせ東松島を、何度も訪れています。
そして、この日は、あるイベントも。
二人が向かった先は、鳴瀬第一中学校。
東松島市の鳴瀬一中と鳴瀬二中が統合され、4月から鳴瀬未来中学校として開校。
その新しい学校の校歌を制作したのが登紀子さん。
校歌制作は市教委が去年10月、市の「森の学校」づくりを支援するC.W.ニコルさんの紹介で登紀子さんに依頼。
お二人は、一中の生徒と震災で校舎が被災し同校で授業を受けている二中の生徒合わせておよそ250人から歓迎されました。
新しい校歌を聞くのも歌うのも初めてだった鳴瀬中の生徒のみなさん。
聞いて、登紀子さんから指導を受け、すぐに歌っていました。
校歌案はサブタイトルが「いつもそばにいるよ」。
鳴瀬地区の豊かな自然や、中学生という多感な時代を共に過ごす仲間の大切さを歌詞に込め、優しい印象のメロディーに乗せています。
生徒らの意見も踏まえ、4月8日の開校式でお披露目されます。
H25.1.16(水)放送
『族(やから)』が雄勝中とあまわりの架け橋に!
『族(やから)』・・・加藤登紀子withみちの空メンバー。宮城を拠点に活動する和太鼓ユニット。
涌谷町小塚追戸沢二(こづかおいどさわに)に彼らの道場がある。稽古や練習をし、ここからいろんな曲が生まれます。
おととし6月から雄勝中の復興輪太鼓メンバーへの支援や、族が所属する事務所が提供した曲の指導で訪問していました。
雄勝中の生徒・・・3年生は受験シーズンで抜け、現在は、1、2年生が中心になって伝統を引き継ぐ。
震災後、流された和太鼓の変わりに古タイヤを使って全校生徒で取り組んだ復興「輪」太鼓。
自分たちが未来のふるさとを創って行く事を強く思っている。
沖縄の阿麻和利(あまわり)・・・沖縄の中高生が主になってつくる、歴史上の人物をモチーフにした沖縄版ミュージカル。子どもたちの居場所づくりや人材育成、地域づくりの場として県内外から注目を浴びています。
新しいふるさとを作っていくために雄勝中学校がモデルにしたのが沖縄のあまわりの活動。
現在は、石巻北高校飯野川校の校舎に雄勝中の生徒は通っています。
その阿麻和利と雄勝中の交流の架け橋になったのが族。
お互いが高め合う交流になりました。