題字:加藤登紀子

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2024.3.8(金)放送
“楽しい”を共有し心の復興をアシスト
楽しく話しながらアロマの小物作りや整体、ハンドマッサージなどを無料で体験できる「いまを楽しもうわかち愛フェスタ」。開催しているのは心理セラピストの庄司真弓さんです。被災した人たちの「心」がホッとする時間を少しでも提供したいと震災翌年に立ち上げ、年2回ほど開催しています。
庄司さんは東日本大震災の発生時、津波被害のあった若林区沿岸に近い地域の介護施設で働いていましたが、その後施設は閉鎖。新たな仕事を探すタイミングで心理セラピストの道へ。開業後、相談に訪れる人の中には生活再建中で、自分の気持ちを後回しにして心の余裕がない人もいたと言います。衣食住が整わないと自分の心の状態にはなかなか気づけない。心は見えないものだからこそ明確な答えはないし、個人個人でその変化にも差があるもの。
庄司さんが大切にしてきた想い“心の復興に区切りはない”。
とにかく今を生きよう、今を大切にしよう、今を楽しもう、口コミでその輪が広がり12年―心を元気にする活動は続いていきます。
2024.3.6(水)放送
OJ60(オージェーロクマル)
東日本大震災でそれまで勤めていた旅館の支配人の職を失い、パン職人に転身した伊藤正和さん。2012年に妻の浩美さんと一緒にカンパーニュ専門店をオープンさせました。『OJ60』は地元の“扇平(おうぎひら)”のO、JAPANのJ、正和さんが開店当時60歳というのを合わせた名前。いつか“カンパーニュといえば扇平”と言われるようになりたいという願いが込められています。
小麦粉、水、塩、酵母ひとつひとつにこだわり焼き上げるカンパーニュはたちまち評判に。そしてご夫婦の笑顔で人気の店となりました。 しかし正和さんの体に不調が…病気を抱えながらも営業を続け、最後までパンを焼くことに向き合い、昨年11月に亡くなりました。
お店を休業して4か月…常連客が気にかけて店を訪れてくれる日もあります。
そして浩美さんは正和さんが情熱を注いだこの店を誰かに復活させてほしいと願うようになりました。今はバトンを繋いでくれる人を探し、またおいしいカンパーニュを焼く香りでいっぱいの店に、と前を向いて歩み始めています。
2024.3.5(火)放送
気仙沼の語り部バス
東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼市。
「気仙沼プラザホテル」と系列の「気仙沼ホテル観洋」が共同で宿泊者向けの『語り部バス』を運行してきました。約1時間をかけて気仙沼市内の震災関連施設をまわっていきます。語り部は支配人の堺さんやホテルの震災経験のあるスタッフが当時の体験も踏まえて説明。被災地の移り変わりを感じてもらい、教訓やこれからの未来についても話していきたいと言います。
そして先月からは、宿泊客に限らずだれでも参加できる無料の語り部バスの運行を月に一回スタート。ベテランの語り部が丁寧に説明をし、震災遺構などを見学します。語り部バスで伝えていくことが災害について改めて考えるきっかけになれば…誰かひとりでも命を守ることができたら…
それぞれの想いをのせて気仙沼市内を走ります。

※一般向け語り部バスツアーの参加は要予約
 「気仙沼プラザホテル」0226-23-1313
2024.3.4(月)放送
仙台南高校が歌い継ぐ「わせねでや」
今月 、東日本大震災から13年を迎えます。
津波被害を受けた塩釜市浦戸桂島。そこで商店を営み、暮らしていた女性・内海和江さんが被災し避難所で書いた詩をもとに作られた楽曲「わせねでや」。
多くの人、アーティストやコンサートで歌い継がれていますが、仙台南高校音楽部合唱団は2012年から歌い続けています。

「わせねでや」という歌をより深く理解したいというおもいから、2016年には合唱団の先輩たちが実際に桂島を訪れて詩に込められた思いを内海さんから聞きました。先輩たちが残してくれたそのメモは、いまでも大切に受け継がれています。
現在の合唱団員たちは震災当時まだ幼かったけれど、あの震災を決して忘れてはいけない、伝えていかなくてはならない、その使命を胸に日々練習し、今年は3月10日の復興コンサートで思いを届けます。
2024.1.16(火)放送
歌津に新しい交流の場を
南三陸·歌津で本格タイ料理が味わえる「和sian-cafe aimaki」
東日本大震災で自宅を失った後、2017年に自宅兼店舗を故郷にOPENしました。南三陸の食材をふんだんに使ったメニュー、なかでもガパオライスは評判です。
店主の高橋さんご夫婦の今の夢は“故郷歌津をにぎわいのあるまちに”すること。そこで町の土地活用公募に手を上げました。国の補助金の申請などや話し合い…時間はかかりますが、ひとつひとつ進めてきたプロジェクト。今回、店から車で約10分ほどの南三陸ハマーレ歌津近くの土地に、新拠点となる建物のコンテナが設置できました。建物の中からは海が一望できます。
新しい交流の拠点にすべく、テイクアウトや飲食ブース、いすやソファなど、地元の人の声をききながらまだまだ準備は進みます。OPENの目標は今年3月10日です。
2023.12.11(月)放送
まちの魅力を毎日発信・山本重也
大阪出身のイラストレーター山本重也さん。
2017年仙台に移住し、毎日まちの風景を1枚の水彩画で描きSNS発信、個展も開催しました。
その個展で“描いてほしい街”をアンケートしたところ、気仙沼という声が多くありました。足を運ぶとたちまちその海に魅了され、特に内湾の風景を描きたいと感じたのだそう。
そこで今年5月からは気仙沼に拠点を移し、常に海が見える場所にアトリエを構えました。

ご夫婦で移住…奥様の朋子さんも気仙沼の人のあたたかさに触れ、そして“出船送り”の光景に心打たれたといいます。
山本さんは一枚一枚の作品は大切ながらも、毎日描き続けて発信するということすべてが自分の芸術だと話します。
気仙沼に住み、まちの姿はもちろんですが、漁師さんを描きたいと新たな題材にも出会いました。
気仙沼での絵が365枚になったらまた個展を開く予定だそうです。

@shigeyater
2023.10.11(水)放送
浪江町に“パン“を届け続ける
仙台市太白区で人気のベーカリー「レピコロレ」。
食パンや総菜のパンなどの食事パンや、旬の果物が楽しめるデニッシュ、スコーンやケーキなどが評判の、今井さんご家族のお店です。

今井さんは震災前、福島県浪江町で店頭用と給食用のパンの製造販売をしていました。
東日本大震災…福島は原発事故が起き避難を余儀なくされ、そののち実家のある仙台に生活の拠点を移しました。
2018年に太白区富沢でパンの製造販売を再開、「レピコロレ」をスタート。近隣のお客さんはもちろん、懐かしい味を求めて浪江町から通ってくるお客さんもいます。
それだけではありません。今井さんは開店以降、毎週火曜日に浪江町に行きパンの販売を続けています。
地元の人たちが待っていましたと次々に買いに訪れ、おしゃべりをし、慌ただしくもうれしい時間です。
そしてこの夏からはもうひとつうれしいことが。娘さんが学業の合間を縫い、一緒に浪江に通うようになりました。
「続けていくことが大切」と伝えつつ、道中では新しいパンのアイデアなど未来に向けての話も止まりません。
懐かしい味・新しい味、つながり・出会い…パンと一緒におもいを届け続けていきます。
2023.9.11(月)放送
南三陸町歌津に新たなにぎわい拠点を
「和sian-cafe aimaki」
地元食材でつくる本格的なタイ料理が評判。
アットホームな雰囲気で食を楽しめる「aimaki」。高橋大吾さんと美由紀さんご夫婦のお店です。
大吾さんは震災前 岩手県一関で飲食店を営んでいましたが、震災の津波で自宅が被災。幼子を抱えながらの再スタート…
娘さんの「歌津にいたい」という言葉で歌津でこの自宅兼店舗を再建しました。

ご夫婦の今の目標は歌津に新たな交流拠点を造ること。町の土地活用の公募に手を挙げ準備を進めてきました。
これまで歌津周辺は緑もなく工事中の風景が長く続き、なかなか訪れる家族連れが少ないことが気になっていました。
しかしこの春、まちが公園を整備、少しずつ家族連れの姿も見るようになりました。
とはいえ資金面では国の補助金申請には時間がかかり、この秋に向けての計画は来年春へと見直しすることになりました。
それでも高橋さんご夫婦は“将来子供たちが住みたい街になるように”と実現に向け進んでいます。

和sian-cafe aimaki(アイマキ)
南三陸町歌津長羽143-21
0226-29-6809
https://aimaki.com
2023.3.16(木)放送
復興の姿届ける竹燈篭
【竹あかりこもれびナイト】
2018年から毎年311を迎える時期に石巻専修大学・庄子ゼミの学生たちが開催しているイベント。
自分たちで、また地域の協力も得て製作した竹燈等を設置し、震災で亡くなられた方々への鎮魂のおもいを届けています。
今年のテーマは“つなぐ”
竹燈に集まるすべての魂を未来へとつなぎたい というおもいを込め、学生たちが作った竹燈。地元小学校の子どもたちが作った紙燈篭に、やわらかくあたたかい灯りがともりました。
イベントに足を運んでくれた多くの方々に震災と今の石巻の姿を伝えていきます。
2023.3.14(火)放送
復興の風船 閖上の空へ
【津波復興祈念資料館閖上の記憶】
名取市立閖上中学校では震災の津波で生徒14人が犠牲となりました。
その遺族のひとり 丹野祐子さん。資料館の立ち上げに携わり、語り部としても活動を続けています。
これまでは被災者が会で語るなどが決まりのようになっていましたが、全国から多くの人が訪れる中、これからは誰でも自由に発言できる場でもあり続けたいと考えています。
この閖上で毎年3月11日に“追悼のつどい”を行い、メッセージを書いたハト型の風船を飛ばしています。
今年もそれぞれのメッセージ、おもいを込めた260個が大空へ。
「生きていることは当たり前ではない 失ってからでは遅い だから今気づくべき。閖上の記憶 ここが命の大切さを伝えるあたたかい場所であり続けたい。」と丹野さんは話してくれました。

https://tsunami-memorial.org
2023.3.10(金)放送
ともしびプロジェクト
あの日を忘れないでほしい…それを表現していきたいと、毎月11日 SNSで全国とあかりを灯しつながる活動を続けてきました。「海と生きる」という気仙沼の復興計画のタイトルを受け、気仙沼の海 浜 空が交わるイメージをモチーフにオリジナルキャンドルも製作しています。
3月11日には青いキャンドルを全国へ。 「忘れない」をカタチに。 震災から10年以上が経ち、被災地からのメッセージとして続いていきます。
キャンドルを灯し、本当に大事なものを自分の中で振り返り 思う時間に… 心に何かが灯る時間に…

https://tomoshibi311.com
2023.3.9(木)放送
キャンプ場casano_va
「casano_va 笠の場」
震災の津波で自宅とイチゴハウスが被災した齋藤順子さん。2020年にキャンプ場【カサノバ】をOPENさせました。
震災で世帯数が減った地区の名前“笠野”を残したい との思いで付けた名前です。シーズン通して利用者があり、車ごと入れるのも便利。
利用客の楽しみの一つにもなっているのが、齋藤さんが暗いうちから手作りしているパン。
小麦粉にこだわり、卵・油は使いません。むっちりとおいしく、からだにやさしいパンを朝食にする人も多いのだそう。
また、震災時の津波でご本尊が齋藤さんの自宅そばに流された「徳泉寺」。それがきっかけでご縁がつながり、写経会の日にあわせ齋藤さんが手作りパンを出前販売へ。会のあと寄って帰る方々に元気を配っています。
齋藤さんはここを沿岸部のパワースポットのように、これからも新たな挑戦もしながら、笠野を発信し続けたいと話してくれました。

山元町高瀬字西北谷地134-1
090-9743-8616
Instagram @casano.va59
2023.3.8(水)放送
海の恵み 海中貯蔵のお酒誕生
「男山本店 藤崎コラボ 海中貯蔵酒オーシャンメモリー」
気仙沼を代表する老舗酒蔵男山本店。震災で甚大な被害を受けましたが、2020年、震災前と同じ場所に再建。
被災地のおもいをより発信したいと考える男山本店と百貨店の藤崎とのコラボが実現しました。
かき養殖棚に酒瓶を吊るして沈め、半年間熟成させた特別なもの。よりまろやかで、復興する三陸の“海の記憶”を感じるお酒です。
海の恐ろしさも知っているが、同時にその恵みを大切に未来へ…。

※「男山本店」蒼天伝
  特別純米 海中貯蔵酒オーシャンメモリー 2,420円 ※限定200本
 「男山本店」蒼天伝
  大吟醸 海中貯蔵酒オーシャンメモリー 4,400円 ※限定100本

3/9から藤崎(仙台市青葉区)地下1階・和洋酒売場で販売会実施
2023.3.7(火)放送
木工ワークショップで震災の記憶を伝える
東松島市「木遊木(もくゆうぼく)」。木と遊び学んでほしいと思いを込めた遠藤伸一さんの工房です。
震災後“ざらざらな木(震災がれき)を磨いていく”アクセサリー製作のワークショップを開いています。
震災前は誰かの生活を守っていた住宅の木材などが、たくさんの「がれき」となりました。その「がれき」を知らない子供達にあの時の記憶を伝えていきたい、幼くして震災を経験し、あとから辛さを抱えるなど心に傷を負った人を救えればと続けています。

何枚ものサンドペーパーに磨かれて仕上げられた「がれき」。震災後の悲しみや苦しみ…その中でも多くの人との関わりに支えられ生きてきた自分たち。遠藤さんは震災で傷だらけになった 「がれき」と自分達は一緒、作品に生まれ変わった木の手触りから色々なことを感じとってもらえたら と話してくれました。

また、遠藤さんは石巻で津波の犠牲になった外国語指導助手のテイラー・アンダーソンさんの遺志を継いで、被災地の小中学校に本と本棚を贈る活動もしています。今年はテイラーさんの母校に本棚を届ける予定です。
2023.3.6(月)放送
被災経験と教訓をイラストで
イラストレーター ico.さん
現在福島市在住、企業広告や挿絵など女性向けのイラストを手がけているイラストレーター ico. さん。
震災の津波で閖上の自宅が被災。2019年の台風19号では福島の自宅兼アトリエが流された経験があり、それをもとに防災に関する情報をイラストや4コマ漫画で伝えています。

防災イラストフリー素材集「防災ポートフォリオ」を開設
Instagram https://www.instagram.com/icollection.me
2023.3.2(木)放送
農園MITU
仙台市若林区岡田地区 ここで生まれ育った佐藤好宣さんの農園。ブロッコリーや人参など、5種類の野菜を育てています。
この地区は震災の甚大な津波被害にあい、佐藤さんの自宅も津波で流されてしまいました。
人生をゼロから再スタートとなったこの時、どうせなら好きなことを地元でしようと就農を決めました。
農園“MITU“ には、野菜を通し心と体を満たしてほしいという思いが込められています。
佐藤さんは就農前、言語聴覚士としてリハビリの仕事をしていたこともあり、農業で就労支援もしています。
佐藤さんのつくる野菜の中でも人気で農園を代表するのが、潮風をうけて育った甘くて香りの良い人参。
せんだい農業園芸センター内のレストランシェフも佐藤さんの人参にほれ込み、オレンジが鮮やかで甘みをいかしたドレッシングにして提供しています。
就農して10年、これからが本当のスタート。じっくりと向き合っていくと佐藤さんは話してくれました。

※MITUの野菜
みやぎ生協高砂駅前店、ヨークベニマル福田町店、フルーツパーク仙台あらはま等で購入できます。
@farmmitu
2023.3.1(水)放送
橋通りCOMMONのいま
石巻の中心部に震災後、町の活性化に取り組む“まちづくりまんぼう”を中心に、交流やイベント、賑わい創出の拠点としてチャレンジショップ「橋通りCOMMON」が作られました。
2018年には「Common-Ship橋通り」と名称を変え、飲食店で起業しようとするボランティアの受け皿にもなりました。
そして2020年にその役目を終えました。

その場所で、来週迎える3月11日に向けて、石巻専修大学のゼミの皆さんがイベント準備をしています。
2018年から毎年続けられてきたイベント。年を追うごとにスケールアップし、今年は竹燈の創作演出を手掛けるクリエイターがボランティアで準備に参加しています。

【竹こもれびナイト「つなぐ」~竹燈に集まる全ての魂を未来へとつなぐ~】
2023年3月11日 午後1時~午後8時
場所:石巻市かわまち交流センター / かわまちオープンパーク石巻 / 石ノ森萬画館
鎮魂のおもい 復興しつづける今を感じつつ、石巻専修大学ゼミ生の皆さんの楽しい企画が迎えてくれます。
2022.3.10(木)放送
歌津にもっとにぎわいを!
「和sian-cafe aimaki」
高橋大吾さんと美由紀さんご夫婦が営む人気の本格タイ料理店です。震災前 岩手県一関市藤沢町で営業していました。
震災後は仮設住宅と店を行き来する生活を続けながら、ご主人のふるさと歌津に新店舗を構える準備をし、2017年にいまの場所で再スタート。
そんな高橋さんご夫婦が歌津にもっとにぎわいを、地域にもっと密着したスポットをとプロジェクトをスタート。

出店予定地は商業施設「ハマーレ歌津」の南側、南三陸町が事業用地として公募していた場所です。
海が見えるカフェレストランやセレクト雑貨ショップなどが入る複合店の出店を計画。
(仮称)「Utatsu seaside terrace」 2023年6月の開業を目標にしています。
潮風を感じ誰でもゆっくり楽しめる小規模複合店舗の実現に向け、CFを募っています。
サイト「READYFOR」
返礼品の有無は選べるようになっています。CFの締め切りは今月18日です。

和sian-cafe aimaki
南三陸町歌津長羽143-21
0226-29-6809
@daigoaimaki
2022.3.9(水)放送
気仙沼の魅力を発信
気仙沼で明治20年に創業、地元で長く愛されているコヤマ菓子店。
店は震災の津波被害に遭いましたが、2019年には元の場所で再建しました。
5代目 菓子職人の小山(おやま)裕隆さんは、SNS等で気仙沼の魅力を発信。
昨年は観光案内所を兼ねる移動販売車“うみねっこー 号”を誕生させました。
店の人気の菓子「はまぐりもなかくっきー」のパッケージと同じ、元気の出るような黄色のカラーリングが目印です。
小山さんは、人が足をとめてくれる町、来た人が笑顔で楽しめる町を目指してさまざまな活動をしています。
仲間と立ち上げた「気楽会」のメンバーとしてイベントの開催などにも尽力してきました。
「いい所だね また来るよ」を原動力に…
2034年までには、地域を照らすような灯台型の店舗“うみねこランド”を建設するのが目標。
これからの世代の人達とも協力し、未来の気仙沼を作っていきたいと話してくれました。

また、これからの防災の観点から、全ての人に危機感を持ってほしいと、311当日に小山さんが撮影した気仙沼の津波の映像をSNSで公開しているそう。

コヤマ菓子店
気仙沼市魚市場前1-31
0226−22−0868
@koyamacake
2022.3.8(火)放送
全国で防災サマーキャンプ
菊池のどかさん。
2011年の東日本大震災の当時は釜石東中学校3年生。地域の大人たちの誘導などに従い、となり町 鵜住居小学校の児童たちと高台に避難した経験を持つ。
地元の大学を卒業後は、岩手の震災伝承館に勤め、語り部活動や防災教育に尽力してきました。

そして現在は、仲間と共に釜石市を拠点とした8kurasu という会社で働いています。
誰もが安全安心に暮らし自分や周りの人を大切にできる社会へ。ひとりひとりの生活に寄り添った活動をしています。
その中で企画しているのが
【全国同時開催 防災サマーキャンプ 。避難体験を行いながら、防災への知識を深めるとともに実践を身に付ける】
全国16都府県で開催(宮城でも開催 会場は未定です)
開催日は2022年8/6~7

<お問合せ>
株式会社8kurasu
TEL:0193-55-6982
メール:kubo@8kurasu.com
2021.10.15(金)放送
青い鯉のぼり 蔵王の空をおよぐ
震災で幼い弟をなくした伊藤さん。彼も中心となり続けられてきた「青い鯉のぼりプロジェクト」。
これまではこどもの日の5月5日に東松島市であげていました。
震災から10年目の今年、新たな出会いがありました。
蔵王でイベントを行っている松崎さん、
震災後、沿岸部も山もそれぞれが未来に向かって進んできたが、一体となってこれから子供たちのためにできることを考えていくきっかけになればと、蔵王のイベントでも青い鯉のぼりを伊藤さんたちとあげることを提案しました。
開催は10月10日。5月5日を2回足したくらい楽しくなるようにという思いを込めて。
天国にすこしでも近い山の上で…

このプロジェクトを通し、鎮魂のおもいはもちろん、自分の未来の進め方を仲間と共に確かめる時間にもしてほしいと話してくれました。
2021.4.1(木)放送
七ヶ浜町「きずなハウス」
七ヶ浜町の「きずなハウス」子供たちや地域の人達の憩いの場です。
スタッフのひとり・石木田裕子さん。子供たちからは親しみを込めて“ゆうこりん”と呼ばれています。
長い間、学童保育や保育園の先生など、子供たちに関わる仕事をしていた石木田さん。
震災後、子供たちのサポートができればとここで働き始めました。
月に3回ほど、みんなの大好きな駄菓子の仕入れ等もやっていました。これは、あの子が喜ぶなと顔を思い浮かべながら…
子供たちの成長を見守り、地域の人と絆を紡いできた「きずなハウス」ですが、一度その役割を終えることになり、先日3月31日に閉所しました。
それにともない、運営に携わっていた名古屋のNPO団体も撤退。閉所の当日は、子供たちや地域のお父さんお母さんたちも所を惜しんで足を運んでくれたそう。
「きずなハウス」は、今後公民館のように、町民が申請をして、さまざまに使用できるようになるそうです。
石木田さんはこの10年で培われた絆を大切に育てていきたいと話してくれました。
2021.3.16(火)放送
思い出の景色が一枚の絵に
東日本大震災で津波被害の大きかった石巻市雄勝町。
ここで生まれ育った徳水利枝さんは、母親や祖母をなくしました。
実家も被災。その跡に植物を植え始めたのは震災3ヶ月後。
こつこつと手入れを続け「雄勝ローズファクトリーガーデン」を作りました。
そしていつしかここは被災した人たちの交流の場となり、犠牲になった方を悼む場となりました。
途中、復興道路の建設のため移転することとなりましたが、ボランティアも作業に加わり成長を続けてきました。
バラを中心に美しい花が咲き、憩いの場になっているのです。
徳水さんがかつて通った雄勝小学校も被災し、もとの学校はなくなってしまいました。
その思い出の風景をもう一度…

仙台在住で水彩画イラストレーターの山本重也さんが、その思い出を絵で再現することに。
雄勝に足を運び、徳水さんから心に残る昔の姿をききました。
そして、もとの雄勝小学校の校舎と、満開の桜の下を子供たちが登校するいつかの活気ある風景が、1枚の絵で蘇りました。
絵を手渡された瞬間、徳水さんは感嘆し、絵を見つめて涙ぐんでいました。
新しく作ることも大切ですが、残していくことの大変さと大切さとを感じました。
震災前の雄勝小学校とは変わりましたが、2013年に船越小学校と統合、さらに2017年には大須小学校と統合し、新しい石巻市立雄勝小学校として開校し、子供たちが元気に学んでいます。

【雄勝ローズファクトリーガーデン】※入場無料
石巻市雄勝町雄勝字味噌作34-2
090-9037-4593
2021.3.10(水)放送
石巻渡波・祈りの姫だるま
石巻市の中でも震災の被害が特に大きかった渡波地区。519人の方が亡くなり、去年公園の一角に震災慰霊碑が建立されました。毎月10日、地区の有志が集まり、慰霊碑まわりの清掃を行っています。
お掃除のメンバーのひとり加藤洋子さん。震災の津波で家族親族を亡くしました。
加藤さんは、震災前から着物のリメイクなどを仲間と楽しんできましたが、3年前からはちいさな“姫だるま”を製作。
一人では意味がない、一緒にやろうと呼びかけ、約100人の地区の人が参加。
この姫だるまづくりが地域のコミュニティづくりにもつながっていました。
そして、渡波地区で震災の犠牲になった方と同じ519の姫だるまが完成。今月、明(みょう)神社の境内の震災犠牲者をまつる「祖霊社」に奉納しました。

加藤さんは震災の話になると涙をこらえておられましたが、明るい表情で取材に応じてくれました。
気持ちが癒えないながらも、周りの人と共に過ごすことでこの10年を乗り越えてきたのだと感じました。

※明神社(伊去波夜和氣命神社)
 石巻市大宮町5-45
姫だるまは3月11日以降も飾っているそうです。
2021.3.4(木)放送
5年半保存できる防災備蓄ゼリー『LIFE STOCK』
多賀城市の防災事業に取り組む企業・ワンテーブル。
「被災地から未来を豊かにする」を理念に、世界初とも言える商品を開発。
それが『LIFE STOCK(ライフストック)』。
これまでは、水分が多いために保存には向かないと言われてきたゼリーを“5年半”保存可能にしました。
宇宙航空研究開発機関JAXAと防災プロジェクトを展開する中、アドバイスを受け完成させたのだそう。
この備蓄ゼリーは賞味期限はもちろんですが、栄養と水分が一緒に摂れるのがポイント。
また、非常時のほかに熱中症対策にもなる塩分水分補給タイプもあります。
コンパクトで持ち運びやすいのも特長。
「被災地から日本に希望を。震災時世界から支援があった東北から世界に貢献できる東北になりたい」との おもいがこめられています。

購入はインターネットで
【検索 ライフストック】
2021.3.3(水)放送
南三陸さんさん商店街と志のや
『南三陸さんさん商店街』
津波被害で傷ついた南三陸町…「さんさんと輝く太陽のように」と願いを込め、震災の翌年にプレハブ仮設で誕生。
4年前の3月3日には新しい一歩を踏み出しました。
新たに建設された商店街に入居するお店、自立再建の道を選んだ店主もいました。それからも協力し合いながら、名物「キラキラ丼」を看板に季節の味を提供しています。

自立再建を選んだ『志のや』
震災後、家族で再建したお店は震災前と同様、観光客や地元の人、漁師さんに愛されています。
南三陸名物「キラキラ丼」の生みの親でもある親方の高橋修さんの腕と人柄に惹かれ、常連さんも多く通ってきます。
また、震災後志津川に戻った後継者の娘・亜矢さんの存在も大きいといいます。
南三陸は自然に恵まれおいしいものもある。その良さをもっと発信していけるよう、若い世代で盛り上げて行きたいと話してくれました。

『南三陸さんさん商店街』午前9時~午後5時
4周年感謝セール開催中 ~3月31日(水)まで
南三陸町志津川字五日町201-5
0226-25-8903

『志のや』
南三陸町志津川御前下62-4
0226-47-1688
2021.3.2(火)放送
震災の記憶を伝える絵本『ひとりじゃない』
震災の記憶を語り継ぐ絵本『ひとりじゃない』。
津波で両親をなくした小学生の主人公が、周囲との交流を通してさまざまな人の支えに気づく物語です。
制作したのは東松島市大曲地区出身の武山ひかるさん。
小学4年生で被災した武山さんは高校生の時から語り部活動をしてきました。
そして、手書きで1冊の絵本を作ります。それは友達などごく身近な人にしか見せていませんでした。
それをリメイクし、出版することになったのが『ひとりじゃない』。

この絵本のモデルは親友の高橋さつきさんだそう。武山さん、高橋さんふたりの震災の記憶をもとに作られています。
絵本は、東松島市の学校や図書館に届けられることになっています。
また現在、絵本の制作費用の支援を募るためにクラウドファンディングを実施中(2021年3月12日まで)。
支援が増えれば、その分印刷部数を増やしていく予定です。
多くの人のもとに絵本が届きますように。
2021.3.1(月)放送
桂島のいま
塩釜市浦戸諸島の桂島。ここで「わせねでや」という楽曲が誕生しました。

桂島唯一の商店「内海商店」、震災後は「島のコンビニわせねで屋」を営む内海和江さん。
震災直後の避難所での生活を余儀なくされていた時、美しい島の風景を書き留めた詩が「わせねでや」の歌詞の基に。
震災後は島を離れて塩釜の市内中心部などへ避難、移住する人が多く、内海さんは寂しくおもっていました。

現在、桂島の人口は震災前の約半数。それでも若い力が地元の産業を支えています。
被災したノリ養殖を営む人で作る合同会社、ここでは若い漁師たちがベテランと一緒になって汗を流しています。
名産のノリの生産量も震災前の水準に戻しているそう。
桂島で漁師として働いている地域おこし協力隊の荒井さん(28・仙台市出身)は、「今後は技術を受け継ぎつつ、次の世代=自分たちの世代にしっかりとつないで、ノリ産業を続けていきたい」と話してくれました。
2021.2.23(火)放送
思い出の写真を持ち主のもとへ
東日本大震災の津波被害を受けた仙台市の沿岸部。がれきの中からは多くの写真が拾われました。
その写真を洗浄し、持ち主に返す活動を続けているのは、市民ボランティア団体「おもいでかえる」。
これまでに14万枚を超える写真が持ち主や家族の元に返されました。
その写真の返却会が今回で最後。
残っている多くの写真をまた探せる機会を残したいと仙台市と話をしてはいますが、まだ白紙状態だそう。

『仙台市被災写真返却会』
2021年2月28日(日)までは
若林区文化センター1階のアートギャラリわかぶん
3月3日(水)~14日(日)は
宮城野区文化センター3階 第3会議室
※時間は10:00~17:00 3/8はお休み

<お問合せ>
おもいでかえる 070-5473-3585
仙台市危機管理室防災計画課 022-214-3047
2021.2.13(土)放送
心のよりどころ・荒浜小学校
「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」
2011年3月11日に発生した東日本大震災。
海に近い仙台市立荒浜小学校は甚大な被害を受け、2016年に惜しまれつつも閉校となりました。
2017年、震災遺構となり公開されました。
震災直後の状態をできる限り保存し、津波の爪痕を校舎の中まで入って見ることができます。
震災の脅威を後世に伝えていく震災遺構です。

荒浜小学校の卒業生 庄司智香子さん、川村敬太さんのふたりは、震災遺構となった母校で働いています。
かつては木造校舎であったこと、松林でキノコ採りをしたこと、地域対抗運動会がよそにないほど盛り上がっていたことなど、たくさんの思い出を語ってくれました。
地域に愛された学び舎は、あの震災を知らない世代や全国の人たちへの伝承の場となりました。
そして、地域の人々には、いつまでも変わらない心のよりどころです。

【震災遺構・荒浜小学校】
見学時間:午前9時半~午後4時 月曜・第4木曜閉館
仙台市若林区荒浜字新堀端32-1 問)022-355-8517
2021.2.11(木)放送
笑顔も届ける移動販売・菊田水産
名取市で毎週日曜・祝日に開催されているゆりあげ港朝市に入っている鮮魚店「菊田水産」は新鮮な魚や水産加工品で人気。
菊田廣子さんのお店です。
閖上にあった店舗は震災で全壊、閖上さいかい市場で営業をはじめましたが、その半年後ご主人を亡くしました。その後さいかい市場が閉鎖し、店舗の再建は断念しました。いまは朝市での営業。菊田さんの目利きしたものがいいという常連さんも多く訪れます。

営業の場所が変わっても、菊田さんが震災時から続けていることがあります。
仮設住宅や災害公営住宅への移動販売です。災害公営住宅には一人暮らしや高齢の方が多く、スーパーができても買い物が大変だという方がたくさんいます。そんな人たちのために食べやすいサイズの切り身にしたりと細やかな気遣いがされた鮮魚をたくさん車に乗せていきます。
毎週火曜日に閖上の災害公営住宅で開いている移動販売。買い物はもちろんですが、菊田さんと会っておしゃべりするのを楽しみにしている人も。
菊田さんは、「待っていてくれるから。体が続く限りやっていきたいと思っている。」と笑顔で話してくれました。
2019.6.14(水)放送
岩手・宮城内陸地震から11年。栗駒へ。
内陸地震で大きな被害を受けた栗原市栗駒の今を取材してきました。

★世界谷地
栗駒山の中腹にある湿原『世界谷地』。様々な高山植物が楽しめるスポット。
湿原にある遊歩道は、内陸地震の影響と木材の老朽化でいたんでいましたが、去年ようやく整備され、歩きやすくなっていました。
山吹色のニッコウキスゲは例年通りの見ごろを迎える。

★数又養魚場
日本で初めてイワナの養殖に成功した養魚場。
イワナ養殖を40年以上続けている数又貞男さん。
数又さんの養魚場は岩手・宮城内陸地震で大きな被害を受け、育てたイワナの大半を失いました。
その後も火災に見舞われるなど、度重なる困難を乗り越えてきた数又さん。
数又さんが育てるイワナに使う水は栗駒山の湧き水で、震災の影響から地下変動で水が地下に入ってしまい水の量が半減し、イワナの生育にも大きな影響が出ている。
11年たってようやく別なルートから湧き水を確保できるということで、ホッとしていました。

★栗駒山麓ジオパークビジターセンター
栗駒山のふもとに今年4月にオープン。
ジオパークとは特徴ある地質や地形を保存し教育や観光に生かす自然公園のこと。
栗駒山周辺を含め栗原市内全域では、2015年、日本ジオパークに認定され、ビジターセンターはその活動拠点にもなっています。
もちろん、内陸地震についても学べる場所です。
巨大なスクリーンでは迫力ある映像で、震災の記憶と、その大地のなりたちの物語を体験することができます。

・世界谷地(栗原市栗駒沼倉耕英南)
 
・数又養魚場(栗原市栗駒沼倉耕英南127)0228-46-2136
 
・栗駒山麓ジオパークビジターセンター
(栗原市栗駒松倉東貴船5)0228-24-8836
 入館無料 9:00~17:00(3~11月)~16:00(12~2月)
 休 火曜(祝日の場合翌平日)
2018.3.14(水)放送
歌い継がれる『わせねでや』
ウォッチン!みやぎをきっかけに塩釜の離島 桂島で生まれた曲「わせねでや」
ふるさとへの思いを歌ったこの歌が今年も復興コンサートで歌われました。

今月10日、東北大学川内萩ホールで開催された「みんなでつくる復興コンサート」
“被災地のオーケストラ”「仙台フィルハーモニー管弦楽団」にエールを送ろうと全国各地から多くのお客さんが訪れました。
このコンサートに2015年から参加しているのが仙台南高校音楽部合唱団。
毎回「わせねでや」を披露しています。
今回の復興コンサートのゲストは数々のミュージカルや舞台を中心に活躍している井上芳雄さん。
仙台南高校 合唱団と「わせねでや」で共演です。

ここ数年、復興コンサートでは「わせねでや」を 平原綾香さん 新妻聖子さんが歌ってきて今回は井上芳雄さん、
男性ならではの力強い歌唱力で曲の持つメッセージを聴く人に届けていただきました。
仙台南高校 合唱団のみなさん、27名「わせねでや」を合唱団の“大切な曲”として歌い継いでいる。
震災から7年、1人でも多くの人がこの歌を知って、そのメッセージがどんどん広がっていくといいですね。
2017.9.12(火)放送
閖上で本格操業“北限のしらす”
東日本大震災より6年半。津波で甚大な被害を受けた名取市閖上地区は、復興の歩みを進めています。昨年5月の水産加工団地の新設、また今年7月には災害公営住宅が完成し入居が始まりました。
しかし、漁業には未だ影響が残っています。閖上の漁業者は、震災前の3分の1ほどになりました。また、閖上名物のアカガイも貝毒の影響を受け、休漁する時期もあるそうです。

そんななか、新たな試みが始まりました。それは、「しらす漁」。以前は、福島県沖が北限とされてきたしらすですが、昨年に宮城県の認可がおりました。新たな「北限のしらす」として、被災した漁業者の新たな収入源となっています。
初めてのしらす漁に、長年漁師を営む小斎力男さんも試行錯誤を続けています。操業開始からおよそ2ヶ月、漁獲量も安定し、そのほとんどが地元の水産加工会社などで取引されています。「宮城県に“しらす”があると知ってもらえるように頑張りたい」と小斎さんは力強く語ってくれました。

閖上のしらすは、飲食店での取り扱いも増えています。閖上さいかい市場にある「漁亭 浜や」では、生しらす丼の提供を先月より始めました。甘みに特徴のある閖上のしらすは、醤油を数滴垂らすだけで美味しくいただくことができます。「浜や」では、さいかい市場店に限らず全4店舗にてしらす丼を提供しています。

「漁亭 浜や 閖上さいかい市場店」
住所:名取市美田園7丁目1-1
TEL:022-398-5547
営業:午前11時~午後6時(水曜日定休)
   火曜日のみ午後2時まで

<第1回閖上しらす祭り>
日時:9月24日(日)午前9時~午後1時
場所:閖上水産加工団地内
2017.9.5(火)放送
雄勝の花畑 新たな一歩を前に
津波の被害が大きかった石巻市雄勝で、人が集まる花畑を作ろうというプロジェクトが進められて来た事は、以前もご紹介しました。その憩いの庭が今、新たな局面を迎えているので取材しました。

雄勝町の海から600mほど内陸の津波被災地に「雄勝ローズファクトリーガーデン」があります。人口が震災前の3分の1近くに激減した雄勝地区で、 地域の交流拠点としての役割や、 雇用の創出をめざしています。およそ1,300㎡の園内はバラを中心に多くの草花が咲き誇り、誰でも自由に見て楽しむ事ができます。

震災後ずっとこの場所を見守って来たのが、徳水利枝さん。徳水さんは震災前、塾の講師をされていましたが、津波で母親と叔母、それに従弟を失いました。
震災の年の夏、実家の跡地に亡くなった人を弔うためホオズキなどを植えたのがローズファクトリーガーデン」 の始まりです。のべ1000人以上というボランティアや造園の専門家らに支えられ、花畑は成長を続けて来ました。

しかし、多くの人の思いが込められて来たガーデンはいま移転を余儀なくされています。
2014年、そばを通る国道398号線と県道のルートを変更する復興計画が示されたのです。5m以上の嵩上げと拡幅工事が行なわれるのに伴い、国道と県道がガーデンの敷地に半分ほどかかってしまいます。

計画が示された当初は、理不尽に感じたという徳水さんでした。地元の人達、あるいはここに思いを寄せている人達にとって、何が必要かという事を行政がきちんと考えてくれていないように思えたといいます。

しかし日照時間など植物にとっての条件や、バリアフリーの必要性などを感じるようになり、悩んだ末、より愛されるガーデンへと、去年移転を決意しました。現在の場所より50mほど内陸側、趣旨を理解した石巻市から無償で借りることができた土地に、石垣や門、温室などが、整いつつあります。2,000㎡といいますから、今の敷地の1.5倍の広さです。

生まれ変わるガーデンは、今までと違う新しい意味を持つかも知れないと徳水さんは語ります。
これまで「雄勝ローズファクトリーガーデン」は、地元の人が亡くなった人を思う場所、弔う場所としての意味がありました。津波が何もかも奪い去ってしまった故郷で、そこだけオアシスのような癒しを感じられる場所です。ここに住んでいた人達が「つながり」を感じる場所です。

新しいガーデンは、震災後にできた「つながり」を確認する場所になるかも・・・と、徳水さん。
ボランティアや、ここに思いを寄せてくれた人達にとってのシンボルになって行くだろうと。

そう思いつつ徳水さんは、その時その時で誰かにとって何かの意味を持つのだろうから、とにかく続けることを目標に今後も頑張りたいと話していました。

宿根草は10月末から、大きな植物は冬場を使って移動させ、来年バラが咲くまでには新しい「雄勝ローズファクトリーガーデン」を立ち上げる予定です。
2017.8.4(金)放送
志津川の名店 再オープン!
季節料理 志のや
震災から6年4ヶ月が過ぎた南三陸町志津川。

震災前は、志津川中学校近くで、およそ10年営業していた人気のお店。
しかし、海から2キロほどしか離れていない店には震災の津波が押し寄せ、全て流されました。
大震災の翌年、仮設の店舗でオープンした南三陸さんさん商店街に志のやの高橋 修さんも参加。
お店で働くかたわら、旧商店街の牽引役となり、様々なイベントや新しいグルメ開発に取り組むなど地域を盛り上げてきました。
頼りになる商店街のアニキ的存在だった高橋さん。

そして、今年3月3日、さんさん商店街が新たにかさ上げした場所にオープン。
多くのお客さんが訪れる中、高橋さんの姿は、知人のお茶屋さんにありました。
新しい商店街には出店しなかったのです。
高橋さんは、震災後、仮設店舗に入る時から、ゆっくりとした食事ができたり、飲食できるような店をもう一回できないかなと考えていたからです。

今年7月28日、かつての場所に帰ってきた『志のや』。
この日を待ちわびた客を迎え、厨房は大忙し。
四季折々の旬の味、志のや自慢の海鮮丼、地元の魚を使った日替わり定食。
お客さんは思い思いに料理を楽しんでいました。

高橋さんは語ります。
「やっと普通に戻れた。ここからがスタート。」
地元の人々の憩いの場所がまた一つ復活しました。

真新しい厨房なので、慣れてからいろんなメニューを出していくそうです。

「季節料理 志のや」
住所:南三陸町志津川字御前下62-4
TEL:0226-47-1688
営業:午前11時~午後2時/午後5時~午後9時
2017.6.14(水)放送
岩手・宮城内陸地震から9年 イワナ養殖の今
2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震から9年が経ちました。大規模な土砂崩れなどで17人の方が死亡し、6人の方が行方不明のままです。
私は、栗駒山の中腹・耕英地区に住む数又貞男さんを訪ねました。
数又さんは栗駒出身の65歳。昭和40年代に日本初とされるイワナの養殖技術を確立した父・一夫さんの後を継ぎ、山の恵みとともに暮らして来ました。そこを襲ったのが、9年前のあの地震でした。

激しい揺れに生け簀の水が1ヵ月ほど濁ってしまったのと、ふ化場の稚魚の多くが水から飛び出して死んでしまったそうです。
また東日本大震災では養殖施設に大きな被害はなかったものの、原発事故による風評被害で大手スーパーとの取引が停止。 さらに追い討ちをかけるように、おととし1月には食堂と物置が火災で全焼したのです。

度重なる苦難を乗り越えて再建された 「岩魚の館」 で、数又さん自慢のイワナ料理を味わう事にしました。まずは蒲焼を使った、定番の岩魚重(1,500円)を頂きます。
川魚なのにコクがあるうえ、ふっくらした身に甘辛いタレがからみます。うん、美味しい!
さらに「岩魚コラーゲンボール」(500円)なるアイデア新メニューもありました。イワナの頭以外の部分を、丸ごとフードプロセッサーですり身にしたつみれです。皮の部分にコラーゲンが多く含まれているという事で、プリプリの感触が楽しめる数又さん渾身のアイデア料理です。
こうした様々な味わい方ができるイワナ。しかし、岩手・宮城内陸地震では巨大な地滑りで大きな被害が出ました。地下水脈の変化で、養殖場は水不足の影響を受けています。ここ数年は雪解け水も少なく、深刻だそうです。水が減ればその分 以前より養殖の規模を小さくするしかないという事で、9年前の地震の影響は色濃く残っています。

それにしても、辛い事が続く中で、栗駒の山を離れようと思った事はないのでしょうか?浮かんだ質問を、敢えて数又さんにぶつけました。
数又さんは、父親の姿を見て来たから・・・と答えました。父親が苦労してイワナの養殖に取り組んで以来50年。その背中を思い出すと、ちょっとやそっとの事ではあきらめられないと。
体の動く限りここでもう少し、夫婦二人三脚で頑張って行きたい・・・。数又さんは静かに力強くそう語っていました。

「岩魚の館」
栗原市栗駒沼倉耕英南127
TEL:0228-46-2136
(不定休・人数が多い時は念のためご予約をお願いします)
2017.5.3(水)放送
石巻で「北限のオリーブ」栽培に挑戦!
石巻市では震災後、新たな特産品を開発して復興の象徴にしようという活動が本格化しています。それが「北限のオリーブ」です。
石巻市北上町月浜の高台に、苗木が100本植えられている農園へお邪魔しました。私の背丈ほどの、まだ幹も枝も細い苗木です。

震災後、石巻市から委託を受けた市内複数の農業法人がおととし、一大産地である香川県小豆島の農家から指導を受け、試験栽培を開始。市内各地であわせて150本ほどを植えたところ、去年は3割ほどの木で実がなりました。
しかしオリーブというと本来、温かい地方の植物のはずです。オリーブの栽培に挑戦する4軒の農業法人の1つ「みのり」の代表理事・千葉昭悦さんによると、試験的に植えた雄勝や網地島で多くの木が無事に冬を越したことから、これは大丈夫だと関係者が確信したそうです。比較的雨が少なく極端な寒さがない石巻の気候のもとで、オリーブの栽培が十分可能だと分かったのです。

とはいえ、お手入れは大変。千葉さんによると、特に地面の草刈りがひと仕事なのだとか。
適切な管理を怠ると、害虫が付きます。根元に卵を産み、かえった幼虫が木に穴を開けてしまうガの一種や、やはりガの仲間で葉に卵を産み、幼虫がその葉を食べてしまう物もいるそうです。
石巻では初めてとなるオリーブの栽培は、試行錯誤の連続なのです。

石巻市と市内の農家では、生産力の向上をめざし今年1月「北限オリーブ研究会」を立ち上げ、この春あらたに250本を植樹。来年度中に市内1500本程度にまで、オリーブの木を増やす計画です。

千葉さんはじめ、たずさわる農家の皆さんは北限のオリーブ栽培を通して、収穫やその後の商品化とは別に3年後の東京オリンピックに向けた目標を掲げています。それは、オリーブの葉で月桂冠を作り、メダリストにかかぶってもらうというアイデア。
「日本人選手が表彰台でガッツポーズしてくれたら最高だね」と、千葉さんは笑顔で語って下さいました。
2017.4.11(火)放送
石巻高校ヨット部復活!
東日本大震災から6年1か月が経ちました。被災した石巻高校ヨット部は 一時、活動休止に追い込まれましたが、 この春 復活を果たしたとのことで取材しました。

石巻高校ヨット部は、市内の佐須浜(さすのはま)漁港を中心に練習を行なっています。昭和28年スタートの伝統ある部も、震災の津波でヨットや艇庫が壊滅的な被害を受け、一時 活動休止に追い込まれました。
震災の年の5月以降、OBが集まりガレキの撤去などの復旧作業を行ないました。
そして2014年春、やはりOBである伊藤先生が石巻高校に数学の教師として赴任すると、自らも汗を流したヨット部を立て直すべく、愛好会として活動を再開します。
震災前10艇ほどあったものの全て壊れてしまったヨットは、全国からの支援で6艇を確保。ヨットをしまう艇庫も去年、修繕が完了しました。東北大会上位入賞など2年間の愛好会としての活動が評価され、新年度からヨット部復活が生徒総会で認められたのです。

練習を見学させて頂きました。この日は新3年生の男女ペア2組が、石巻湾の沖へ それぞれヨットを出します。顧問の伊藤先生は、ゴムボートで近くから指示を出します。必死に対応する部員達。伊藤先生の操るゴムボートからその様子を見ていて、不覚にも涙が出ました。大自然が彼らの教科書なのです。伊藤先生も、できる限り手を貸すことなく部員達を見守っていました。

石巻高校ヨット部は、新入部員を勧誘してインターハイ出場を目指し、頑張って行きたいとのこと。石巻高校のヨット部だけでなく、県内のマリンスポーツは津波で大きな被害を受けましたが、様々な支援をうけて再び立ち上がった人達がいます。
「海は色々な物を奪って行ったが、また与えてもくれる素晴らしい存在」という新3年生の練習後の言葉が、たいへん印象的でした。
2017.3.28(火)放送
平原綾香が伝えるわせねでや
ウォッチン!みやぎから生まれた『わせねでや』の曲が県内外、様々な形で歌われています。
そして、新たな展開がありました。

去年3月、川内萩ホールで行われた復興コンサートで仙台フィルハーモニー管弦楽団の演奏をバックに、『わせねでや』を披露した平原綾香さん。
様々な思いを受け、去年のコンサートツアーでは、必ず、『わせねでや』を歌っていた平原さん。
思いを込めた歌声は反響を呼び、「ぜひ、CD化してほしい」という声が多く届き、今回、レコーディングを決意。

平原さん
「みなさんに歌い継いでいただけるように、いいレコーディングができました。より多くの人に聴いてほしい。これからも、応援し続けます。」

「わせねでや」は、4月26日にリリースされる「LOVE2」のボーナストラックとして収録されます。
そして、4月から、ウォッチン!みやぎのエンディング曲にもなりますので、お楽しみに。
2016.12.21(水)放送
南三陸町で移動販売
舞台は、南三陸町志津川。
かつての町の中心部で営業している移動販売店があります。
食楽 しお彩の後藤さんが店主。
震災の年の夏から移動販売店での営業を開始。
扱うメニューの中心は揚げ物です。仮設住宅暮らしで揚げ物を作るのが難しいという声を聞き、始めました。
避難所で住民の方から早くしお彩の料理を食べたいと言われたのがきっかけ。

震災前も、志津川で営業していた食楽 しお彩。
人気メニューは、海の幸をふんだんに使ったどんぶりでした。
しかし、オープンしておよそ3年で店は津波で流されたのです。
移動販売を始めて5年半、今でも町内の仮設住宅を回ります。
しかし、この形での営業は年内いっぱい。後藤さんは次のステップに進もうとしています。
2017年3月3日、オープンする「新さんさん商店街」へ出店します。

後藤さん
「不安もあるんですが、これから商店街のみなさんと協力して町民のみなさんを大事にしながら観光客を取り入れて南三陸町を盛り上げたいと思っています。」

新たな船出を迎えようとしている『食楽 しお彩』。
後藤さんはこれまでの感謝と未来への決意を込めて、移動販売店での日々を締めくくります。
不安と希望、様々な思いを胸に復興への大きな節目を迎えようとしています。
後藤さんは、移動販売を続けてきたことで、町の復興の様子を間近で見ることができたとおしゃっていました。
新たな店を通して、町を盛り上げ、交流人口を増やしていきたいということです。
2016.9.9(金)放送
亘理の名店が再オープン!
県の南東部の海沿いにある亘理町荒浜地区。この地で長年愛されてきたのが「旬魚・鮨の店あら浜」。
かつては漁師だった塚部久芳さんが23年前に故郷に構えた店です。
名物は、ネタが丼からはみ出る漁師丼でした。
しかし、海から1キロほどしか離れていない店には震災の津波が押し寄せ、奇跡的に残った看板だけが元の場所に残されていました。

震災からわずか半年後の2011年10月には仙台で新たな店をオープンさせます。
店名は故郷の地名で「わたり あら浜」。息子の慶人さんが中心になり、母の慶子さんも店を支えます。
店名には「必ず古里へ戻る」という強い意志が込められていました。

しかし、建設会社の選定に時間がかかるなどし、去年の11月、ようやく地鎮祭にまでこぎつけました。

そして、震災から5年が過ぎた先月10日、ついに、かつての場所で営業を再開したのです。
この日を待ちわびた地元の客が続々と来店しました。
四季折々の旬の味、亘理の郷土料理が味わえるお店。漁師丼も復活です!
13種のネタがのった豪華どんぶり。

「亘理にかつての賑わいを取り戻したい」との思いで家族が果たした地元での再建。
ふるさとの味でこれからも、荒浜地区を盛り上げます。
                                           
                                                                    亘理の店の体制が整い次第、仙台の店は慶人さんが営業を続け、親方(久芳さん)と女将(慶子)さんが中心になって亘理の店は切り盛りするそうです。

今月からはらこ飯。あら汁も付きます。
サケの切り身は雄の身だけを使うので脂が乗っています。
このご飯はサケを使ってダシをとって炊いたもの。
このはらこ飯のシーズンからが、本当の意味でのオープンとご主人は話していました。


「旬魚・鮨の店 あら浜」
亘理町荒浜字中野183-8
TEL:0223-35-2585
営業:午前11時~午後2時/午後5時~午後8時
定休日:月曜
2016.5.11(水)放送
子どもたちが歌い継ぐ”わせねでや”
番組のエンディングテーマにもなっている『わせねでや』の曲が県内外で歌われ、多くの方に歌い継がれています。
そして、仙台南高校の子どもたちが、海外のチャリティーコンサートに出演し、そこで集めた寄付金を塩釜市に届けました。

3月下旬、仙台南高校 合唱団の代表12人の生徒がアメリカでのチャリティーコンサートに出演し、『わせねでや』を披露。思いを込めた歌声は反響を呼び、およそ、17万円の寄付金が集まりました。
今月2日、仙台南高校の合唱団は塩釜市へ。
塩釜市浦戸地区に、アメリカでのコンサートと、その後寄せられた寄付金を届けました。
その後、部員43人で、浦戸諸島の一つ桂島へ向かいました。
わせねでや誕生のきっかけとなった内海和江さんに会うためです。
ほとんどの生徒は、この島を訪れるのは初めて。まずは、内海さんのもとへ。
島に住んで80年の内海和江さん。
内海さんが震災直後に綴ったに詩には、島の風景、復興への思いが、つづられています。
この詩が、『わせねでや』のもとになりました。
生徒たちは内海さんが愛する島を巡りました。菜の花畑、そして、桂島海水浴場。
ここで、島民のみなさんにわせねでやの歌を届けました。

歌い継がれている『わせねでや』
仙台南高校では、後輩に受け継がれている。

<合唱団コメント>
@感情を込めて歌えた 心の底から歌がいいなと感じた。
@どんどん次の代へ引き継いで私たちも歌い続ける。 @こういう風に見て歌うっていうことがなかったので、
 今回のことを通して、今まで以上に音楽のチカラで、復興に役立てていけたらなと思います。
2016.2.11(木)放送
石巻日日こども新聞
石巻の子どもたちがある取り組みで、震災と向き合い活動しています。
その取り組みが、この石巻日日こども新聞。
石巻日日新聞社の協力のもと、石巻市内の小学生から高校生を中心に制作。
2012年3月11日から、3ヶ月に1回、発行しています。
活動の拠点は、市の中心部にあります。毎週土曜、およそ20人の子どもたちが集まり、新聞作りに挑戦しいています。
現場での取材や写真撮影、原稿作成・編集といった新聞制作のほとんどを、こどもが記者となり行っています。

・こども記者の取材を受けた方談
こどもたちがいろんな所をまわって被災地の現状を伝えているのは、すごい強いこと。
震災はこどもたちにとってもショックな出来事だったと思う。そのショックな出来事にもめげずに向き合っているということは、大人顔負けの力があると思います。

3ヶ月に1回、東日本大震災の月命日である11日に、発行されている石巻日日こども新聞。
読みたい、興味を持ったという方は、こちらまで。

一般社団法人キッズ・メディア・ステーション 022-721-3143

メール info@kodomokisha.net
2015.6.16(火)放送
亘理・ごはんと麺の店 見晴 息子が受け継ぐ父の味
震災で大きな被害を受けた亘理町荒浜の民宿が、内陸へと移転し、6月10日、飲食店として再オープン。

「ごはんと麺の店 見晴」
住所:亘理町東郷147-7
TEL:0223-36-9909
営業時間:
 午前11時~午後3時(ラストオーダー 午後2時30分)
 午後5時~午後9時(ラストオーダー 午後8時30分)
定休日:火曜日
2015.6.15(月)放送
岩手・宮城内陸地震から7年・・・栗原市栗駒 イワナで再起をかけるご夫婦
2015.3.16(月)放送
石巻市渡波 ロングビーチハウス
2014.2.14(金)放送
地域の人々による地域復興のための働く場 産直 はま道(亘理町)
2014.1.31(金)放送
被災した浜に活気を! 食堂 浜友(石巻市・佐須浜)
2014.1.17(金)放送
亘理の老舗食堂 休業へ・・・亘理町荒浜 かとうや
2013.12.13(金)放送
子どもたちが歌い継ぐわせねでや
2013.11.29(金)放送
父の遺志継ぐ娘の思い・・・亘理町荒浜 かとうや
2013.11.18(月)放送
忘れちゃいけない味がある! 名取市閖上のたこ焼き
2013.10.21(月)放送
宮城の海の魅力を伝えるダイバー 石巻市渡波
2013.10.11(金)放送
故郷気仙沼で再開! お食事処 浜の家
2013.9.20(金)放送
東松島市野蒜 地域の希望へ 希望のあかり
2013.9.6(金)放送
山形と宮城“つながる”絆 族 with FREIEND‘S
2013.8.23(金)放送
東松島市 千本の地蔵を彫る住職 10年前の地震を教訓に
2013.8.2(金)放送
桂島 鬼ヶ浜ビーチクリーン大作戦
2013.7.26(金)放送
加藤登紀子withみちの空×仙台南高合唱団がTBC夏まつりでトリを飾る
2013.7.15(月)放送
塩釜・桂島でビーチ再生 続編
2013.7.12(金)放送
仙台南高校続編 高校生が歌い継ぐ‘わせねでや‘
2013.6.14(金)放送
岩手・宮城内陸地震から5年・・・栗原市栗駒の今
2013.5.30(木)放送
高校生の心に響いた“わせねでや”その誕生の地へ!
2013.5.24(金)放送
被災した宮戸の民宿の女将が食堂で奮闘
2013.5.14(火)放送
高校生の心に響いた“わせねでや”
2013.5.10(金)放送
青い鯉のぼりプロジェクト 続編
2013.5.2(木)放送
青い鯉のぼりプロジェクト 東松島市大曲浜
2013.4.26(金)放送
震災から2年1ヶ月・・・熊谷育美さんが見た気仙沼
2013.4.22(月)放送
塩釜・桂島でビーチ再生 続編
2013.4.11(木)放送
鳴瀬の未来へ 新校歌を加藤登紀子さんが制作
2013.4.3(水)放送
気仙沼の名店 再起をかけ奮闘中
2013.3.13(水)放送
子どもたちがダンスで笑顔発信!
今月10日、仙台サンプラザホールで 『被災地で未来に向かう子供たちを応援する』をコンセプトにしたイベントが開催されました。出演するのは、以前もお伝えしたスマイルフォージャパン。
被災した子供たちに何かをしたいという思いから仮設住宅を訪問し、こどもたちにチアダンスを教えました。
このイベントには、スマイルフォージャパンメンバーが、以前、ダンスを教えにいった亘理と東松島の子どもたちも出演するのです。
会場には、続々とお客さんの姿が・・・そんな中、スーテージの上では、スマイルフォージャパンメンバーと子どもたちが動きの最終確認!
フェスティバルには、子どもから大人まで、様々なジャンルのダンス・音楽・パフォーマンスなどを披露する県内外から総勢27団体およそ500人が出演。
宮城県警察音楽隊が奏でるメロディーに合わせて、いよいよ、スマイルフォージャパンメンバーと子どもたちのダンス発表です。子どもたちの踊りを見て、観客からは笑顔がこぼれます。
イベントの主催者からフィナーレで『わせねでや』を歌いたいという依頼を受けた加藤登紀子withみちの空メンバーのヒザシさん。リハーサル室で子どもたちと歌の練習。
そして、フィナーレ。
宮城県警察音楽隊の演奏と観客・出演者のみなさんで、『わせねでや』の合唱。
わせねでやが会場に響き渡りました。
スマイルフォージャパンのこどもたちは、中学生。
今後も仮設住宅の子どもたちに定期的にダンスを教えにいきたいなどと話していました。
とにかく笑顔にさせたい。震災に対する意識が高いこどもたちでした。
2013.3.12(火)放送
ありがとうの詩イベントで加藤登紀子withみちの空が“わせねでや”を唄う
2013.2.28(木)放送
ダンスで笑顔を!
亘理町公共ゾーン仮設住宅。現在は、亘理・山元・南相馬から来た、445世帯がここで生活しています。
仮設に住む、ダンスをしたい子どもたちが集まった集会場。そのダンスを教えているのは、スマイルフォージャパンというチアダンスチーム。仙台・七ヶ浜・山形の中学生が学校に通いながら、チアダンスを練習し、全国大会を目指しています。被災した子供たちに何かをしたいという思いから今回、初めて、チアダンスを教えることになりました。
震災により、住む所も学校もバラバラになってしまい環境が一変。
唯一、メンバーの心のより所はチアダンスでした。
そんなメンバーの思いも伝わり、ダンスを教えてもらった子どもたちからも笑顔がこぼれます。
この日は、矢本運動公園仮設住宅にも訪問。393世帯およそ1200人の方が生活している場所です。
保護者や仮設に住む方が見守る中、練習がスタート。
子どもたちのダンスを見て思わず笑顔も・・・
震災後、おおぜいの方に助けられ、それがいかに大切か気づかされたチアメンバー。
そのことを忘れないようにしたい・・・という思いでダンスを教えています。
ダンスを教えにいったチアダンスチーム。そして、ダンスの楽しさをしった子どもたちともに、忘れられない日になりました。
2013.2.13(水)& 2.20(水)放送
桂島ビーチクリーン大作戦!前編・後編
1月下旬の早朝・・・マリンゲート塩釜には、たくさんの荷物を持った方たちが、続々と集まりました。
その正体は、塩釜市浦戸桂島にボランティアに行く方。集まった方は、日帰り・1泊する方を合わせて、およそ70名。代表を務めるのは、つながりプロジェクトの勝又三成さん。
以前、番組でもお伝えした鬼ヶ浜ビーチクリーン大作戦。
島に住む三浦さんとボランティアで去年6月から活動しています。震災で砂浜に漂流した流木やゴミ・タイヤの片付けなどビーチ再生を目指すもの。
そして、今回は、海中に沈むガレキ調査・砂浜に埋まった船の掘り起し作業など、ダイバーと南三陸歌津から4人の漁師もかけつけました。
漁師の方は、実際、被災し、ボランティアやたくさんの人に支えられたからこそ、こういった活動に協力したいという強い思いがありました。
塩釜市浦戸桂島・・・震災で大きな被害を受けた島の一つ。桂島の全住居83軒のうち42軒が全壊。
仮設住宅に住んでいる方もいますが、島を離れている方も。
桂島海水浴場の隣りに位置する鬼ヶ浜。知る人ぞ知るプライベートビーチなんです。
海水浴場にするには海底のガレキの掃除と砂浜に打ち上げられている大きな船を片付ける必要があります。水を含んだ砂の掘り起し作業は、かなりの重労働。
ダイバーはガレキがある場所へ・・・海中には、大きく成長した海藻類。
しかし、未だにガレキも。ロープや網などの漁具が海底に埋まっていたり岩にかかっているんです。
それを、ダイバーがナイフで切り、船に引き上げます。
漁師が持ってきた縄を砂浜から掘り出した船にかけます。重機などが入れない場所のため、大型船で、船を引き上げるのです。海が浅いため、近づける距離は砂浜から200メートルほど。
ついに、砂浜に埋もれた船が1隻引き上げられました。
引き上げられた船は、桂島桟橋近くの岸壁へ運びます。
島民の方の重機によって、船が岸壁に引き上げられます。この船は、重機によって解体され処分されました。
1隻引き上げたものの、鬼ヶ浜に埋もれている船は大型船・小型船合わせてまだ3隻残ったまま。
夏の海水浴場オープンに向けビーチクリーン大作戦は続きます!
全国各地からボランティアが。
話を聞くと、被災地に足を運ぶ目的の方や交流や体を動かしたいなど様々。鬼ヶ浜のビーチクリーン大作戦は、長続きしているボランティア。中には、島のお母さんの手作り料理を目当てに訪れる方も。
島の観光スポットの海水浴場をオープンさせ、観光客を呼び元気な島にしたいと、みなさんおっしゃっていました。
ボランティアの数が減少している中、こういった活動はありがたい。
2013.1.30(水)放送
東松島を加藤登紀子さんとC.W.二コルさんが訪問!
1月21日、東松島市東名地区に登紀子さんの姿が。
同行しているのは作家・環境保護などで活躍しているC.W.二コルさん。
お二人は、市の職員の案内で津波被害を受け、排水機場の工事が進められている場所へ。
『現実はまだまだ厳しい。復興どころか復旧すらままならない』
お二人は、同行している市の職員の話を聞いていました。
続いてお二人が向かったのは、鳴瀬第二中学校。海からおよそ200メートルの距離にあった学校は津波の直撃を受けました。
二コルさんは現在、東松島市であるプロジェクトを進めています。登紀子さんを連れてその場所へ。
去年2月から、東松島市で復興の森づくりと二コルの森の学校プロジェクトをスタートさせ東松島を、何度も訪れています。
そして、この日は、あるイベントも。
二人が向かった先は、鳴瀬第一中学校。
東松島市の鳴瀬一中と鳴瀬二中が統合され、4月から鳴瀬未来中学校として開校。
その新しい学校の校歌を制作したのが登紀子さん。
校歌制作は市教委が去年10月、市の「森の学校」づくりを支援するC.W.ニコルさんの紹介で登紀子さんに依頼。
お二人は、一中の生徒と震災で校舎が被災し同校で授業を受けている二中の生徒合わせておよそ250人から歓迎されました。
新しい校歌を聞くのも歌うのも初めてだった鳴瀬中の生徒のみなさん。
聞いて、登紀子さんから指導を受け、すぐに歌っていました。
校歌案はサブタイトルが「いつもそばにいるよ」。
鳴瀬地区の豊かな自然や、中学生という多感な時代を共に過ごす仲間の大切さを歌詞に込め、優しい印象のメロディーに乗せています。
生徒らの意見も踏まえ、4月8日の開校式でお披露目されます。
2013.1.16(水)放送
『族(やから)』が雄勝中とあまわりの架け橋に!
『族(やから)』・・・加藤登紀子withみちの空メンバー。宮城を拠点に活動する和太鼓ユニット。
涌谷町小塚追戸沢二(こづかおいどさわに)に彼らの道場がある。稽古や練習をし、ここからいろんな曲が生まれます。
おととし6月から雄勝中の復興輪太鼓メンバーへの支援や、族が所属する事務所が提供した曲の指導で訪問していました。
雄勝中の生徒・・・3年生は受験シーズンで抜け、現在は、1、2年生が中心になって伝統を引き継ぐ。
震災後、流された和太鼓の変わりに古タイヤを使って全校生徒で取り組んだ復興「輪」太鼓。
自分たちが未来のふるさとを創って行く事を強く思っている。
沖縄の阿麻和利(あまわり)・・・沖縄の中高生が主になってつくる、歴史上の人物をモチーフにした沖縄版ミュージカル。子どもたちの居場所づくりや人材育成、地域づくりの場として県内外から注目を浴びています。
新しいふるさとを作っていくために雄勝中学校がモデルにしたのが沖縄のあまわりの活動。
現在は、石巻北高校飯野川校の校舎に雄勝中の生徒は通っています。
その阿麻和利と雄勝中の交流の架け橋になったのが族。
お互いが高め合う交流になりました。