ど〜なの?DJ
皆さんからの素朴な疑問・質問にお答えするべく
DJ淳吾が調査・奮闘するコーナー。
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[平成24年7月25日(水)放送]
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「クラシックカーを楽しむ生活とは?」

今回は「とうほく自動車フェスタ」(7月20〜29日)開催に合わせ、いわゆる「旧い車」を取り上げてみました。歴史的名車や憧れの車がズラリ勢ぞろいしたイベントです。

その開催に先がけて行なわれた、県庁前でのデモ走行会。
何と、登場したのは貴重なベンツ・パテント・モトール・バーゲン!
1886年生産開始の、ガソリン車第1号とされる車です。レプリカではありますが、エンジン始動は車体後部のフライホイールをエイヤッと両手で回す必要があり、儀式めいた点も魅力です。

その乗り味はというと……最高時速15kmにもかかわらず、フルオープンであるため風を切る疾走感は非常にダイナミック。
1リットルの1気筒エンジンで、ギアも前進1速しかありません。後退時には皆で押してやる必要があります。
馬車に代わる乗り物として開発された黎明期の3輪自動車は、現代の自動車とはまた違う、ゆったりとした時間を提供してくれました。
車好きとしても、大変貴重な経験をさせてもらえました!

さて。さすがに、ベンツ・パテント・モトール・バーゲンは博物館クラスの車ですし、とても実用には向きません。
もう1台ご紹介する旧車は、スバル360です。
実際に車検を取っていて、公道を走れる車ですよ。

スバル360といえば「てんとう虫」の愛称で親しまれ、1958年から1970年にかけて40万台近くが生産された、高度成長期におけるまさに国民車。
懐かしいと感じられるご年配の方も多いのではないでしょうか?
太白区内で印刷会社を経営する、佐々木康夫さんが今もお乗りだと聞き、取材させて頂きました。

佐々木さんがお持ちのスバル360は、1961年式の通称「出目金」と呼ばれる顔を持つシリーズ。
僕は実物を見るのは初めてでしたが、実に小さい!長さ、幅ともに現代の車の3分の2程度しかありません。
そこへ大人4人を乗せる室内レイアウトは、画期的というか無理矢理というか(笑)……。

佐々木さんのスバル360は、実はお父さんが生前 乗っていらした車だそうです。
しばらく乗った後 一度知り合いに譲ったそうですが、その方が40年間(!)大事に乗られていた物が再び手元にやって来たのだとか。
佐々木さんはそうした経緯を「先祖返り」と呼んで、笑うのでした。人の縁が車との縁をつないだ、という事でしょうか。

そういうエピソードを聞いてからこの車に乗ると、またひとつ時代を感じます。
佐々木社長は「日本が良かった時代」とおっしゃっていました。
それにしても、音から振動から何もかもがダイレクト!まるでゴーカートに乗っているような車です。
今の交通のリズムについて行くのがやっと……そんな印象を受けました。

佐々木社長は 「旧い車に乗る事は、次世代にそれを受け継ぐ責任を伴う」と語ります。
通称 「出目金」 と呼ばれるシリーズのスバル360は、まともに走る車は全国で10台もないといいます。
この車を直せる人も、少なくなってしまいました。
維持して行く上で必要なのは、信頼のおけるメカニックがそばにいてくれる事だそうです。
ただ、部品もわりと手に入るし、税金も安いので維持費はあまりかからない(!)というお話でした。

今や絶滅危惧種となった、かつての国民車スバル360。50歳を過ぎた今もオーナーに愛され、静かに余生を過ごしています。



[平成24年7月11日(水)放送]
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「CDの製造工場が仙台に!」

放送日の7月11日に、桂島から生まれた楽曲「わせねでや」のCDが発売となりました。そこで今回は、CDがどのように作られるのかを探ってみました。

加藤登紀子withみちの空の「わせねでや」。
ジャケットをよく見ると、「MadeinTaiwan」の文字が……。このCDが台湾で製品化された物である事が分かります。
そんなCDを生産する工場が、何と仙台にもあったんです。

仙台西道路を抜け、車を走らせる事10分。
その場所は仙台市西部、青葉区上愛子の森の中でした。
(株)オプトロム。CDやDVDなど光ディスクの生産拠点として1986年、仙台市内に設立された会社です。
さっそく工場見学をスタート!

ご案内下さるのは、執行役員で工場長の新沼浩さん。
中に入る前に、防塵服の着用が義務付けられます。
CDやDVDは微細な形状の製品であるため、空気に埃などがはいるとエラーが出てしまうおそれがあるのだそうです。
クリーニングルームで、エアシャワーもきちんと浴びました。

中に入ると思ったより人が少なく、ほぼ無人のライン。
にぎやかな機械の音とともに最初のプレス機を見せて頂きます。
CDの製造は、レコード会社から持ち込まれた音源で「スタンパー」と呼ばれる原盤を作る所から始まります。
次に、原料となるプラスチック「ポリカーボネート」を高温で溶かし、ディスクの形に成型。
そこへ原盤と同じ音楽データを、プレス機を使って1枚ずつ入れて行くのです。

しかしこのプレス機から次々出て来るCD、透明なんです。原盤からのデータはすでに転写されているはずなのですが、なぜ……。
新沼さんいわく、たしかにデータは入っているが、このままでは透明なので読み込む事ができないのだそうです。

CDやDVDなどは「ピット」と呼ばれる、目に見えない無数の小さな溝を原盤からプレスしてデータを書き込んでいます。それをレーザーで反射させ、読み取っているんですね。
しかし、透明のままではレーザーが通り抜けてしまい、音楽を再生する事ができないというのです。

そこで、次の段階で盤面にアルミの反射膜を付ける工程がありました。
透明だったCDが、見慣れた銀色の光沢を身にまとって行くのでした。
あとは、印刷機で盤面に図柄を刷り込んで出来上がり。
CDってこうして作られていたんですね!

オプトロムの工場では、B’z(!)やZARD、大黒摩季や倉木麻衣など、いわゆるビーイング系のCDのほとんどを生産していました。
そういえば僕が最初に買ったと記憶しているCDは、B’zのLADYNAVIGATION。これも何かの縁ですかね?ちょっと興奮しました。

しかし、ミリオンセラーが続々出ていたのは’90年代までの話。
オプトロムでは、ピーク時に月およそ500万枚生産していた音楽CDが現在は3分の1近い、月170万枚に落ち込んでいます。
楽曲の流通がCDから配信へとシフトしている事が、主な要因だといいます。

そこでオプトロムでは、液晶画面のバックライト技術を用いたE-COOLと呼ばれる照明の生産を始めていました。
低コストな上、LEDと同じレベルの省エネ性能を誇るという次世代の明りです。

仙台でCDを作る工場は、時代の変化を敏感に捉えていたのでした。



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