ど〜なの?DJ
皆さんからの素朴な疑問・質問にお答えするべく
DJ淳吾が調査・奮闘するコーナー。
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[平成24年9月19日(水)放送]
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「八幡小の校歌に謎の地名が!」

今回のご質問は、登米市にお住まいのM.N.ゆちよさんから頂きました。
ゆちよさんは子どもの頃仙台市内にお住まいで、市立八幡小学校のOGです。卒業後20数年が経つのですが、当時から校歌に歌われていた地名が、どこだか分からないといいます。

たしかに学校の校歌には、仙台市の学校なら「広瀬川」とか「泉ヶ岳」とか「蔵王」といった地名が歌い込まれている事が多く、そこで学ぶ児童や生徒達が日頃から親しんでいる景色とともに記憶に刻まれて行くものです。
しかし八幡小学校の校歌には、どこだか分からない地名が、しかも歌い出しで登場して来るというのです。
依頼人のゆちよさんも「心当たりがないんです」との事。

さっそく調べましょう!
何はともあれ、仙台市立八幡小学校へ。
5年生の3クラス、109人全員が体育館に集まってくれました。元気よく校歌を歌ってくれます。じっくり聞いてみる事にしましょう。

♪伊勢堂山緑にはえてかがやく天地
   茂りてあおしこの園生〜

皆、どうもありがとう。
それにしても、問題の地名が歌い出しでいきなり出て来ましたね。仙台市内のどこかにある山なんでしょうか?
ところが子ども達に聞いてみると「知らな〜い」との答。
あらら。しかし中には、ちょっと聞いた事がある……という5年生もいました。教えて下さい!

「私の子ども会が伊勢堂下子ども会といいます」
「学校から北の方角って聞いた事があります」

ほほう!いくつか手がかりが出て来ましたね。
ここはひとつ、教頭の鈴木一彦先生にお聞きします。

「伊勢堂山という山は、どこにあるのですか?」
「実は、学校としても正確な場所は把握していないのです」

へ……?何と、学校側も正確には分からないとの事!
しかし昭和9年、校歌が出来た当時の歌詞の解説資料を見せて頂くと、「八幡小学校は伊勢堂山麓にあって」という気になる記述が!

という事は、伊勢堂山はこの近くにあるのでしょうか?
その点、鈴木先生に再度尋ねると「学校の北の辺りをさすのでは?」というお答でした。

ココまで集まったいくつかの手がかりを元に、取材班は八幡小学校から少し北の、青葉区千代田町〜北山界隈へと向かいました。

しばらく坂を上がって行くと、東北福祉大学北山キャンパス裏手の辺りへ。ちょうど「伊勢堂下」と呼ばれる町内会のある地区です。
細い道の突き当り、何やら鳥居を発見しました。
その先には石段が上へと続いています。行ってみましょう!

登り切るとそこにはもう一つ、同じようなやや小ぶりの鳥居があり、掃き掃除をしているお年寄りがいらっしゃいました。
聞けばこの辺りがズバリ、伊勢堂山なのだとか。発見です!!

伊勢神明社というお社があるから、伊勢堂山という事なんだそうです。
お会いしたご老人、堀保さんは87歳。この辺りに住むようになって45年間、町内を代表して主にひとりでお社の管理を行なって来たといいます。

そもそも伊勢神明社という神社は、伊達政宗が伊勢神宮からここに分祀した事が縁起なのだとか。
当時の人々にとって、お伊勢参りをするのは一生に一度の大願。
しかし遠路はるばる伊勢まで行くとなると1〜2ヵ月かかるし、旅費も相当なものに。藩のお金を持ちだしてしまう事にもつながります。
そこで政宗公は城下町の北にある小高い丘を選んで、伊勢神宮を分祀して来たのでした。

伊達家当主も代々訪れたという伊勢神明社ですが、今は参拝する人もほとんどいないそうです。
現在のお社は、25年前に地元住民が協力して改築した物。
堀さんは個人的な寄進も含め、長年この神社に敬意を払って来ました。

さらに堀さん、ご自分で参道の石段を積んだり、鳥居を直したり。87歳の堀さん無しにこの神社は成り立たないのです!
何とか元気なうちは……と頑張っているのですが、後継者がいない状況だといいます。

ココに限らず小さな神社や地名の1つ1つに歴史があり、それは街の財産であって、無くなってしまった後にその大切さに気付くのでは遅いと思うのですが。
様々な思いが脳裏をよぎった、今回の伊勢堂山探しでした。

追記:
八幡小学校の校歌は昭和9年、当時の子ども達が書いた歌詞を先生方が添削する形で出来上がったそうです。
当時の子ども達……つまり今の地元のお年寄りは、伊勢堂山がどこだか大抵ご存知なのだそうです。
学校としても、今回のお話が良い学習の機会になれば、との事でした。



[平成24年9月5日(水)放送]
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「定禅寺ってどこにあるの?」

仙台で9月に行なわれる大きなイベントといえば、すっかりおなじみとなったJAZZフェス。
正式名称は「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」ですよね。

名前のとおりメイン会場となるのが、ケヤキ並木の美しい定禅寺通。
しかしですね、皆さん。この通りの名前にも入っている「寺」という字にしては、肝心のお寺がこの辺りには見当たりません。
定禅寺というお寺はどこにあるのか……?観光客に聞かれたら、答えられるようにしておかなければ、いけませんね。

念のため通りを歩いている人に話を聞くと、お寺の存在を詳しく知っている人見つかりませんでした。
仙台の街のど真ん中で、お寺というイメージはやはり持ちにくいのかも知れません。

そこでリサーチを進めるべく、僕は仙台市博物館に学芸員の方を訪ねました。
水野沙織さんによると、何と定禅寺というお寺、昔はあったそうですが今はなくなってしまったという事なんです。
ええ!!本当にそうなんですか?場所はどこ?そして、どうして今はなくなってしまったんでしょうか?

何はともあれ、その証拠を見せて頂く事にしました。
水野さんに案内して頂いたのは、旬の常設展が行なわれている一室です。
ガラスケースには、壁に大きな古地図が!
18c後半=天明6年〜寛政元年にかけて描かれた仙台城下の地図で、現在の地図のような「上が北」といったルールはなく、当時の区割りがあらゆる方向から手書きされているのが特徴です。

仙台城の本丸から北東の方角、鬼門を押さえる位置に目を動かして行くと……小さな筆文字ではありますが、定禅寺という名前のお寺をたしかに見る事ができました。
やっぱり定禅寺はあったんですねえ。しかも、周囲に数多くある寺に比べて敷地が広い!

仙台開府後まもなく、伊達政宗の命で建てられた定禅寺。藩の保護をうけ、藩のための祈祷などを行なう格式高い寺でしたが、武士の時代が終わり明治6年に、その役割を終えました。

明治政府は、それまで江戸幕府が仏教を保護してきた政策を大きく転換しました。
定禅寺のように、城下にあって、少ない檀家のほとんどが武士……という寺は、武士そのものがいなくなってしまい、廃れたところが多かったのだそうです。

ちなみに寺がある頃から、そこに通じる道という意味で「定禅寺通」という呼称は用いられていたようで、東西に延び国分町と交わる通りの存在を、古い地図からも確認する事が出来ました。

定禅寺があった場所は現在、県庁やその向かいの合同庁舎の一部となっています。
当時の面影をしのばせる物はありませんし、明治6年に廃寺になっていて写真も見つかりませんでしたが、見た事のない、でも仙台市民にとってある意味とても馴染みの深い寺院に、思いをはせる事ができた今回の取材でした。



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