ど〜なの?DJ

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[平成25年4月17日(水)放送]
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「色麻町の駐在所に目が釘付け!?」

今回は、色麻町を仕事で通るという名取市のみーすけさんからお便りを頂きました。
国道沿いの駐在所の看板に目が釘付け…といいます。

実際に行ってみると、駐在所はすぐに見つかりました。そして看板のおかしな所もすぐに分かりました。
「四釜駐在所」って?やはり「しかま」と読むんですよね??

駐在さんに話を聞くと、着任したばかりで自分も調べているところだが奥が深いようです……との事。
なるほど。市町村の「色麻」と字が違う「四釜」の謎を探りましょう。

平和な町の放っておけない地名の不思議は、役場で聞いてみる事に。
地元の歴史に詳しい副町長が答えて下さいました。

まずは何と言っても「色麻」と「四釜」、2つの「しかま」の違いからですよね。

副町長によると、2つは歴史が違うのだというお話。
町の歴史をひもとくと「色に麻」と書く色麻は、奈良時代に編まれた歴史書『続日本紀』で最初に見られるそうです。
はるか1300年の昔、西暦737年の事です。

一方、四つの釜と書く「四釜」は18世紀後半、仙台藩の記録に現れます。
『塩釜神社から釜が4つ運ばれて来たという伝説に漢字を当てた』とか、そもそも「しかま」という名は「塩釜」が訛ったものか……などと書かれていて、どれもはっきりしません。

ただ塩釜との関連を物語るかのように、町内の民家には何と塩釜神社の分社とされる小さな祠がひっそりと祀られていたのでした!

では歴史的に違いのある2つの「しかま」。他に違いはあるのでしょうか?
副町長によると、明治22年に旧色麻郡12の村が合併して、新しく色麻村が誕生しました。その際、合併した12の村の1つに四釜村があったのです。

つまり「広い色麻町内の四釜地区」という当時の構図が、今も残されているわけですね。

漢字はどう書くにせよ、はるか昔ここに「シカマ」と呼ぶ地名がおこった。そのルーツとも呼べる場所へ高橋副町長にご案内頂きました。

役場からほど近い場所にある「伊達(いだて)神社」。
平安時代初期、坂上田村麻呂の東北征伐の際に西国からこの地へ分社されたという伝説も残る、格式の高い神社です。

副町長によると、実は兵庫県姫路市に「飾磨(しかま)」という場所があり、そこにも「伊達(いだて)神社」が存在するそうです。
同じ神を祀った同じ名前の神社がある、遠く離れた2つの「しかま」。

太古の昔兵庫の飾磨からはるばる宮城の色麻へ、開拓のため移り住んだ人々がいて、なぜ別の字を当てたかはよく分からないまでも「しかま」と読む地名ごと持ち込んで来た……と、高橋副町長は語ってくれました。

現在も町内に残る『色麻』のルーツ「伊達神社」。
色麻町の小高い丘から、今も街の様子を見守っています……。



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