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●Disc.114
「榴岡か榴ヶ岡か?それが問題だ」
お子さん達は夏休みに入りましたね!
今回のDJは、子どもの頃を懐かしく思い出して自由研究に挑戦してみました。テーマは 「地元の地名」 です。
宮城野区の「つつじがおか」。この地名には2つの書き方があるのをご存知ですか?
仙台駅の東側に広がる宮城野区のつつじがおか地区。宮城野通りを中心に近年オフィス街が整備されるなど、再開発が進んでいます。
そんな 「つつじがおか」……『ケ』 のない榴岡が1丁目から5丁目まで。
『ケ』を書く表記の榴ヶ岡も、北側に1区画。
同じ 「つつじがおか」 と読む住所でも、2つの書き方があるのです。
さらにややこしい事に、例えば榴岡天満宮の住所は榴ヶ岡。
JR榴ヶ岡駅の住所は『ケ』のない榴岡など、複雑な事この上ありません。
近所で話を伺っても「私の住所は榴ヶ岡ですが、マンションの名前は榴岡です」という人まで現れる始末。
『ケ』を書くほうの榴ヶ岡にある「丘のホテル」。
ココでは 「つつじがおか」 の書き方が2とおりある事で、時おり問題が起きているといいます。
車で来るお客さんに「榴ヶ岡」と伝えると、カーナビに「榴岡」と入力してしまい道に迷う人が時おりいるのだとか!
どうしてこんな紛らわしい事になっているのでしょうか?
榴岡公園にある仙台市歴史民俗資料館なら、何か分かるかも知れません。
学芸室長の佐藤雅也さんによると、周辺は古くからツツジの名所として和歌にも詠み込まれる歌枕だったようで「躑躅岡」という難しい漢字を書いていました。
現在の「榴」という字を使うようになったのは、明治に入ってこの場所に旧日本陸軍の歩兵第4連隊が置かれ「榴ヶ岡連隊」と称した事からだそうです。
兵隊さんも手紙を書いたりする時に、易しい文字のほうがラクですもんね。
ところが佐藤さんによると、実は当時『ケ』のつく榴ヶ岡と付かない榴岡は、新聞などでも両方見られ、あまりこだわって区別されなかったようです。
住所としては『ケ』の付くほうが古く、どちらの 「つつじがおか」 も町名に並ぶようになるのはずっと後の話、昭和60年代以降なのだとか。佐藤さん、貴重なお話をありがとうございました。
さて、ココからは昭和末期のお話。
かつて仙台駅の東側は、東七番丁から東十番丁などの旧い町名が使われていましたが、1988年=昭和63年の区画整理で『ケ』の付かない榴岡に広く統一されました。
当時、新しい町名を決める話し合いに参加していた地元の方にお会いする事が出来ました。東七番丁東口振興会会長の大内光雄さんです。
大内さんによると区画整理当時、仙台市の担当者と地元住民との間で新しい町名を決める会議が持たれ、駅東・中央東・新中央・元町といったアイデアが出されました。しかし、いずれも多数の賛成を得られなかったようです。
「つつじがおか」については、その表記も様々な意見がありました。
まず平仮名で「つつじヶ岡」。これは仙台の中心部なのに、何だか郊外のイメージがある……という意見で却下。
結局、古くからの街のシンボルである榴岡天満宮や榴岡小学校の表記にならい、最終的に『ケ』のない榴岡が新しい町名に採用されたのでした。
ココでもう1つの疑問!『ケ』が付く榴ヶ岡も住所に残ったのは、どうしてでしょうか?
大内さんは当時を振り返りつつ、区画整理などで古い街並とともに歴史的町名が消えて行く中、昔ながらの名前を残したいという意図があったのだとか……。
『ケ』が付くものと付かないものと。どちらの 「つつじがおか」 にも、地元の方の、街に対する愛着が込められていたのでした。
※ちなみにJR仙石線の榴ヶ岡駅は、駅ができた1925年 (大正14年)当時の住所が 『ケ』の付くほうの榴ヶ岡 だったために、駅名として採用されました。駅なので、 あくまで住所の表記を優先したのでしょう。
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