今回は、民俗研究家の結城登美雄さんと
津波の被害も大きかった山元町を訪れました。
震災後、結城さんには忘れられない光景があるそう。
2011年、津波で様々なものが傷ついたこの土地で
春に田植えをした男性がいました。
10月頃、そこには見事に稲穂が実っていた。
山元町は“半農半漁”の豊かな地域なのだと
結城さんは話します。
2018年の冬には、山元町の特産でもある『ホッキ貝』の漁が
ようやく本格的に再開しました。
磯浜漁港を訪れるとホッキ貝が水揚げされていました。
結城さんは、ここで漁師をしていた鈴木正一さんに出会い、
30年も前から“資源管理型漁業”の提言をしていると聞きました。
漁師みんなで話し合い、小さな貝(9.5cmより小さい)は海に戻すルール。
そうすれば海はこたえてくれる、と。
海の恵みを頂く「ありがとう」と、生命を頂く「ごめんな」。
自然と向かい合った人間だからこそなのです。
その鈴木さんは、残念ながら津波の犠牲になってしまいました。
しかし、その精神は今でも漁港の漁師たちが守っています。
山元漁業組合の岩佐さんは、震災直後
海(ホッキの生息域)には瓦礫が散乱し、船も一艘もない
こんな状態でまた漁ができるのだろうかと、愕然としたといいます。
瓦礫を取り除き、自然そのものの回復を待ち、様々なことを乗り越えて
約7年、ようやくホッキ漁ができるようになりました。
最盛期の漁獲量とはいきませんが、本格的にスタートした水揚げ。
小さな貝は海に戻すルールは今も変わりません。
「海に誇りをもって仕事をする。
ずっとここで働いていける海を作っていく」と岩佐さんは言います。
民俗研究家の結城登美雄さんは、
この磯浜漁港のやり方は、
日本の漁業の将来の在り方を指し示しているのではないだろうかと
話してくれました。