東日本大震災から10年「3.11伝承ロードをめぐる」

取材後記

東日本大震災・原子力災害伝承館

原発まで数キロの場所に
“最初で最後”の伝承館が開館した。
失われた命と生活、目に見えないものが襲う被害。
福島県に200万通りある物語、
そのひとつでも知ってほしい。

東日本大震災・原子力災害伝承館
泉田淳
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横山和佳奈

ナビゲーター:伊藤永夏

※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。

東日本大震災・原子力災害伝承館

〒979-1401
福島県双葉郡双葉町大字中野字高田39

▼施設に関する窓口
東日本大震災・原子力災害伝承館
TEL:0240-23-4402

▼公式サイト
東日本大震災・原子力災害伝承館 公式サイト

取材後記

ナビゲーター
伊藤永夏

4回目に訪れたのは福島県双葉町です。宮城県仙台市から車で1時間半ほど走ったところにありますが、東日本大震災から11年が経つ今も一部を除き、広い範囲で帰還困難区域(放射線量が非常に高いレベルにあり、バリケードなど物理的な防護措置を実施し、避難を求めている区域のこと)となっています。私は今回初めて足を踏み入れましたが、常磐自動車道を進み、浪江ICを降りてから双葉町に向かう途中の景色に一瞬言葉が出ませんでした。一見営業しているように見えるのによく見ると中はがらんとしたお店、まだ手つかずのままなのか外壁から崩れている家、時間が止まっているようなそんな感覚になりました。

福島県双葉町は地震や津波の被害はもちろんですが、福島第一原発がすぐそばにあり、原発事故で目に見えない放射線からも逃げなければならなかった地域です。

今回お話を伺った泉田淳さんと横山和佳奈さんは、2020年9月にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」で被災の体験を語り継ぐ「語り部」として活動されているお二人です。

泉田さんは当時小学校の教頭先生として児童の安否確認や避難先ではメンタルケアに尽力されました。残念ながら自宅に帰ってから命を落としてしまった児童がいたこと、避難先で、小さな児童が心の中に抱えていた複雑な想いに向き合った時の心情、11年経った今思うことを包み隠さず語ってくださいました。

横山さんは震災当時小学6年生。避難所で家族に再会出来たのは翌日のことで、津波で祖父母を亡くされています。地元の友達がいない避難先の中学校に進学したときに直面した葛藤などをお話ししてくださいました。お二人が共通しておっしゃっていたのは「自分自身の経験を伝えることで、誰かの命を守れたら」という強い想いです。

わたしはインタビュー前、会場であるこの伝承館を一人で見学させていただきました。はじめに大きなスクリーンで原子力発電とともに歩んできた歴史や震災当時の様子を見ることができ、2階では原子力災害について多くの展示物が並んでいて、当時の様子や除染について詳しく知ることができました。

この日は隣町の中学生が社会科見学に訪れており、真剣な眼差しで展示物の隅から隅まで勉強している姿に遭遇しました。

そのとき、「語り部さんのお話、よかったら聞いていってくださいね」と声をかけている泉田さんを見かけました。その意味が、インタビュー後によく分かった気がします。

見学スペースではこの地域で被災した方々の想いなども映像で映し出されているのですが、被災した1人1人の思いを全て反映しきれているわけではない、だからこそ僕たちができるだけその想いや現実を伝えていくんだと、泉田さんが最後におっしゃっていたからです。

この取材記を読んでくださっている方の中にはテレビやラジオで原発事故の状況を十分知っているという方もいらっしゃるかもしれません。ただ、震災が起こる前の双葉のこと、この地域で被災した人たちの想い全てが報道されているわけではありません。もちろんこの伝承館で伝えられていることも全てではないかもしれません。それでもこの番組でお二人の話を聞いて、実際に足を運んで生の声を聞いてほしいと思います。

そして防災・減災について一緒に考えるきっかけにしていただきたいと願います。