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2016年2月15日(月)放送

気仙沼市 及川デニム 及川秀子さん
リポート:林田悟志アナウンサー

気仙沼市本吉町にあるデニム工場「オイカワデニム」。2011年の東日本大震災では高台にある工場が周辺住民の避難所となり、互いに助け合いながら数日間肩を寄せ合い過ごしました。デニムを保管していた倉庫が津波に流され後に見つかった40本のデニムはドロドロになりながらも1本のほつれもない状態で見つかったことから「奇跡のデニム」「復興のデニム」といわれるようになりました。
気仙沼市のオイカワデニムは、安価なファストファッションジーンズが主流だった頃、他社との差別化を図りいち早く高級な自社ブランド「スタジオ・ゼロ」を2006年に立ち上げ、技術力で信頼を得て海外の有名ブランドからも多くの縫製の依頼がくるようになりました。2009年には高台に工場を移転、チリ地震に遭遇した際は近所の住民が避難してきたこともあったそうです。その時は大きな被害なく、避難してきた人はじきに戻っていきましたが今後もしかするとここが避難場所になるのでは、という不安がよぎりました。
そして2011年3月11日、大きなワゴン車で市内を移動中に及川さんは被災しました。国道45線からは茶色い波が見えてきたため階上中学校に避難して一晩過ごし、半日かけて工場に戻ってみると、従業員のほか近所の漁師さん・年齢層も様々な人たち150人ほどが避難していました。生まれたばかりの赤ちゃんも工場にいたそうです。寒い工場内では段ボールを数枚重ねてその上にデニムの生地を隙間なく重ね絨毯代わりにして互いに励まし合いながら時間を過ごします。指定の避難所ではなかったため物資は届かなかったのですが、ここが一番明るい避難所だったと及川さんは当時を振り返ります。
今後は気仙沼の復興の拠点になりたい、と思いを込め話す及川さん。避難所でいっしょだった漁師さんや他の皆さんと交流する中で新たな提案も生まれました。自身も仮設住宅暮らしが続いていますが、気仙沼の復興の足音は、港町の小さなデニム工場のミシンの音からはじまりました。

番組へのメッセージ

番組へのおたよりおよび災害時の情報は以下方法で受け付けております。

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