東日本大震災から10年「3.11伝承ロードをめぐる」

取材後記

津波遺構たろう観光ホテル
田老防潮堤

かつて津波太郎(田老)とまでいわれた、岩手県宮古市田老地区。
“万里の長城”と呼ばれた防潮堤に囲まれた街で聞こえてくるのは
「逃げる意識がないと守れない」。
たろう観光ホテルの映像、避難道の太陽光パネル、交差点の隅切り…
“防災の街・田老”の住民に息づくものを未来への懸け橋に―。

ナビゲーター:tbcアナウンサー大久保悠

※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。

津波遺構たろう観光ホテル

〒027-0323
岩手県宮古市田老字野原80番地1

田老防潮堤

〒027-0306
岩手県宮古市田老字川向 地内

▼施設に関する窓口
学ぶ防災ガイド
TEL:0193-77-3305

▼公式サイト
岩手県宮古市 公式ホームページ「たろう観光ホテル」

取材後記

ナビゲーター
tbcアナウンサー 大久保 悠

東日本大震災の発生からもうすぐ10年。今回の取材で、震災の記憶を次につなぐためにも重要となる「震災遺構」が伝えてくれることを目の当たりにしてきました。

訪れたのは、仙台から車で4時間ほどのところにある、岩手県宮古市田老地区。震災の津波で行方不明の方を含め181人の方が犠牲となりました。

田老は震災後の報道で見聞きしていましたが実際に足を踏み入れたのは初めて。田老でも珍しい大雪に見舞われた厳しい寒さの日でしたが、なんと言っても、地元の皆さんの温かさをとても強く感じました。宮城から訪れた初めて会う私たちにも、故郷田老のこと、震災の経験、そこから何を感じたか、次に伝えたいこと…マイクを向けた皆さんそれぞれが真摯に丁寧にご自身の言葉で話してくださるのが印象的でした。皆さんが共通しておっしゃっていた「田老の津波の歴史」。明治、昭和、そして東日本大震災と3度も津波に襲われた田老地区の皆さんは全国を見渡してみても防災への意識や日ごろからの避難の意識が非常に高いものがあります。

一方で、防潮堤や避難場所の確保などが整っていたことによる「大丈夫だ」という意識もあったかもしれない、とも語っていました。

田老の高台の地区に集団移転した大棒レオ子さんは、震災からの避難生活の体験やそこから得た教訓などを地元の中学生たちに語り部として講演する活動も続けています。子ども達からは避難生活で大変だったことや、震災の時のことについて多く質問が寄せられるということですがその度に繰り返し「震災のことを忘れないでね」と子供たちに呼びかけているそうです。仮設住宅住まいの時から周りのお母さん方と着物をリメイクして小物やバッグなどを作る活動を高台移転後も続けていらっしゃり、取材の日も近所のお母さん方と作業をしていました。地域のつながりをモノづくりを通して続け、全国各地や世界の方たちに作品が愛用されています。それも震災を「忘れない姿」の1つだと感じました。

学ぶ防災ガイドの元田久美子さんは、防潮堤の上から見える田老の街並み、そして田老観光ホテルの震災当日のこと、ご自身の被災のこと…様々お話いただきました。冷静な語り口の中に温かさが常に感じられ、「たった一つの命を守るためにできること」を語り部ツアーを通して教えてくれました。

元田さんがツアーの最後に言っていた、「震災は忘れた頃に来るんじゃない、人が忘れるから災害がくる」という言葉。忘れないためにできる伝承・教育・訓練、そして言葉では伝えきれないものを目に見えるもの、聞こえるもので伝えていく。震災遺構がある意味を改めて感じた取材となりました。