震災後「奇跡の一本松」が代名詞のようになった
岩手県陸前高田市の“高田松原”一帯。
かつては海水浴場をはじめ、娯楽に集う若者の街だった。
国と地方が一体となって整備する公園とその施設は
地域に新しい顔を見せ始めている。
※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。
JR陸前高田駅、現在はBRTが走る。以前の駅より内陸側に移設され、「まちなか」至近の立地だ。
商店街だったエリアにある「米沢商会ビル」は個人所有の“遺構”。かさ上げの分、ビルは沈んでいるかのようだ。
旧道の駅(タピック45)は建物の内部も含めた一般公開を目指し、工事が続けられている。
奇跡の一本松。取材時は日が落ちてしまったが、朝日でも夕日でも背景にくればさらに絶景を生む立地にある。後ろに見えるのは旧気仙中学校。
旧ユースホステルは、奇跡の一本松への津波の影響を“身を挺して”弱めたと言われる。
アバッセたかたは、2017年開業の商業と図書館の複合施設。取材の日も利用者の車が頻繁に出入りしていた。
陸前高田の小野寺麻貴さん。震災前は田高校のそばに住んでいた。バイパス沿いに若者の文化があった、と話す。
陸前高田観光ガイドの河野正義さん。かさ上げした市街地は家を建てていいことになっているが、多くの人がもう一段高いところを選んでいると言う。
陸前高田市観光物産協会でまぶしい笑顔で迎え入れてくれた小林大樹さん。Uターン就職で陸前高田の魅力発信!
観光物産協会のある「まちの縁側」の上はテラスになっていて、かさ上げされた市街地から海まで一望できる。
いわてTSUNAMIメモリアルと道の駅を海側から臨む。海側、内陸側のどちらから見ても「表」の顔を見せる。
向かって右側の建物は道の駅高田松原。広田湾の牡蠣、昆布といった海産物に加え、「すなば珈琲」も楽しめる。
いわてTSUNAMIメモリアルのゾーン1は「歴史をひもとく」。5000年以上前から三陸を襲う津波の痕跡を見られる。
解説員の美野生子さんから田野畑村消防団の車について聞く。水門の閉鎖を担う消防団は、ギリギリまで避難の呼びかけを実施したと言う。
ゾーン3は「教訓を学ぶ」。東北地方整備局災害対策室の部屋を再現、くしの歯作戦の指揮を取った緊張感が伝わってくる。
〒029-2204
岩手県陸前高田市気仙町字土手影地内
▼施設に関する窓口
高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設 代表電話(総合案内カウンター)
TEL:0192-22-8911
〒029-2204
岩手県陸前高田市気仙町字土手影180番地
▼施設に関する窓口
岩手県復興局震災津波伝承課
TEL:0192-47-4455
▼公式サイト
東日本大震災津波伝承館いわてTSUNAMI(つなみ)メモリアル
3.11伝承ロード最後の取材となった岩手県陸前高田市。風の強い1日でしたが、よく晴れて陸前高田の街並みをじっくり見ることができました。
最初にお話を聞きに向かったのは、「東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアル」。解説員の美野生子さんに丁寧に分かりやすく説明していただきました。施設内は「歴史をひもとく」「事実を知る」「教訓を学ぶ」などテーマごとに展示されていて、県内の各自治体から提供を受けた実際に被災し津波で変形した消防車の展示など、目で見て、耳で聞いて、映像を通して、様々な角度から震災を見つめ直すことができます。
これまで宮古市田老地区、山元町の中浜小学校、いわき市の被災状況、3か所を回りましたが最後に訪れたこの陸前高田市の震災津波伝承館の施設で震災の教訓や未来への想いを見聞きしたことで、これまでの様々な地域の震災の総括ができたような気持ちにもなりました。それくらい、県内はもちろん、地震・津波そして災害の歴史や現状、これからというものをしっかりと伝えてくれている施設だと感じました。
そして、今回陸前高田市の観光ガイドの方に震災当時、そして震災発生からの月日を振り返って思うことを聞く機会に恵まれました。菅野コハルさんは、震災で大切な友人を亡くしました。ご自身ももし震災当日の仕事の予定が変わっていたら津波の被害にあっていたかもしれない、と当時の状況も話してくださいました。震災前のバスガイドとしての経験を活かしながら今、観光ガイドとしても陸前高田の移り変わりを県内外から訪れた方々に話していらっしゃいます。
小野寺麻貴さんは、地元で生まれ育ち、青春時代を陸前高田で過ごした1人です。震災当時の避難の経験や、震災後の様子も丁寧にそして持ち前の明るさも持ち合わせながら地元への愛情がこもった語り口が印象的でした。奇跡の一本松で注目された高田松原も、若者たちが集うスポットの1つだったそう。思い出のたくさん詰まった場所が津波で姿を変え、その喪失感は計り知れないものがあったと言います。そんな中でも地元のこれからの姿も伝えたい、と力強く話してくださいました。
そして、語り部ガイドの河野正義さん。インタビューをした交流施設の屋外デッキから震災前の街並み、そして震災で変わってしまったもの、震災遺構としてその災害を伝えてくれている建物が残った経緯など、初めて見る私にも分かりやすく教えてくださいました。
河野さんも地元で過ごしずっと陸前高田を見ていた1人です。当たり前にあるものと思っていた7万本もの松林がなくなってしまったショックや、その現実を実感するまでの時間差、気持ちの変化も聞かせてくださいました。
3人それぞれの被災体験や、震災からの復興に向けて動く街の様子を見つめる優しい眼差し、そして地元の未来を多くの人に伝えたいという共通点をお話から感じ取ることができました。同じ被害を繰り返さないために…その強い決意を地元の皆さんの声から、震災伝承施設から、感じ取ることができました。