東日本大震災から10年「3.11伝承ロードをめぐる」

取材後記

いわき震災伝承みらい館

地震、津波、火事、さらに原発事故という
未曽有の複合災害に見舞われた福島県いわき市。
温暖で美しい海岸線が南北に続く浜通り南部の都市は、
多くの犠牲者を出し、避難する者、避難して来る者と、
複雑な環境の中で復興を見つめている。

ナビゲーター:tbcアナウンサー大久保悠

※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。

いわき震災伝承みらい館

〒970-0229
福島県いわき市薄磯三丁目11

▼施設に関する窓口
いわき震災伝承みらい館
TEL:0246-38-4894

▼公式サイト
いわき震災伝承みらい館

取材後記

ナビゲーター
tbcアナウンサー 大久保 悠

3回目に訪れたのは、福島県いわき市薄磯地区です。車で薄磯地区を走っているとまず目に飛び込んできたのは、あまりに広く大きな「海」でした。震災後大きくかさ上げし道路は整備され、住民の皆さんの今の住まいからは離れているとはいえ、それでも波打ち際に寄せる波の音や潮の香り…常に「海」と共に過ごしてきたのだと降り立って初めて感じました。この日も朝から近所の方が散歩に訪れていたり、保育園の子供達がお散歩で海を眺めていました。

去年開館したばかりの「いわき震災伝承みらい館」は、1つのフロアにいわき市の震災の被害、復興に向けての動きが非常に見やすくわかりやすく展示されていました。パネルや音声、映像など地元以外の来館者にも理解してもらえるようにという工夫を随所に感じました。案内してくれたのは武田真一さん。ご自身も自宅が大きな地震の被害に遭いながらも市の職員の一人として避難所の名簿作成を始めとした運営でめまぐるしい日々を送っていた当時のお話が印象的でした。

また今回は、お2人の語り部ガイドの方にもお話を伺いました。地震、津波、火災、そして原発事故と一度に大きな被害に見舞われた久之浜にお住まいの阿部忠直さんは、避難所の取りまとめ役として同じ地区の皆さんのケアもしながら、市の警察の捜査にも地元をよく知る1人として協力したりと避難所と被災現場の往復の日々だった当時を話してくださいました。津波の直後に大きな火災の被害にもあった久之浜地区は、時間の経過と共に原発事故の憶測も含めた情報が錯綜し、避難住民の皆さんがどれだけ不安に駆られたのか、いかに正しい情報を迅速に伝えるかが大切かを阿部さんの話から思い知らされました。

そして、薄磯地区の高台にお住まいの大谷慶一さん。津波から命がけの避難の経験をその目で耳で感じたそのままを話してくださいました。生まれも育ちも薄磯で、地理はもちろん地元の皆さん1人1人の顔まで知り尽くしていた大谷さん。でも、あの東日本大震災の地震が起きたあと、「海を見に行く」という行動をとった自分。地震発生から津波が押し寄せるまでの分刻みでの大谷さんの経験の描写に瞬きを忘れるほど聞き入りました。全て克明に覚えていらっしゃるのだなと話を聞いていると、途中大谷さんが「記憶は断片的だ」とおっしゃった時、ハッとしました。自分自身のこと、そしてあの時その場に居合わせた人達の生死に関わる被災経験を心にとどめておくことは、非常につらいことであることに改めて気づかされました。

本編の中で大谷さんがおっしゃっていたように救えなかった命があったこと、そのことを誰にも話せない時期があったこと、心許す友人に震災からしばらくたってようやく「話す」ことができたこと。その時、心に背負っていた重い重い何かがストンと抜けていった感覚があったこと、そして今「生きている」から責任を持って「逃げないといけないと伝える」ということ。大谷さんの紡ぐ言葉1つ1つに、命への責任を感じました。取材を終えてふと顔を上げると高台の場所からもいわきの海が見えました。こんなに身近な存在だからこそ、その怖さと大切さを同時に感じる海なのだと感じた1日でした。