東日本大震災で宮古市は最大で40メートルに達する津波に襲われた。
旧市役所周辺の市街地を抜ける国道45号は通行ができなくなった。
しかし、震災の翌日に大津波警報が続く中、市立病院や田老町へ至るルートを啓開する人々がいた。
さらに、寸断された道の仮復旧や、ガレキ撤去に取り組んだ地元建設会社に話を伺った。
三好建設(株)
ナビゲーター:宮田敬子
※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。

資料をもとに震災当時の状況や作業について説明を受ける。

津波によって宮古市の市街の国道45号はガレキと泥に覆われ通行ができなくなってしまった。

稼働できる重機を集め、ガレキを撤去し道路の啓開作業を急いで進めた。

震災翌日には大津波警報が出される中、自衛隊をはじめ救護車両が通行できるよう国道45号を開いた。

現在、復旧された重茂(おもえ)地区の向渡橋(むかいわたりばし)。重茂地区から宮古市へ向かうためにはなくてはならない。

重茂漁港には40メートル超えの津波が襲来、向渡橋が流され住民が孤立した。

住民が車両で宮古市街へ向うことができるよう、仮設の橋が急いで架けられた。

現在の、重茂地区の向渡橋の前でリポートする宮田ナビゲーター。

震災時の重茂地区の様子について重茂漁協の木村さんにお話を伺う。当時は大学生で当日は帰省中に震災に遭った。

お話を伺った三好建設の山崎さん、小川さんと宮田ナビゲーター。
震災から間もなく15年。今年も様々な人が復興への思いを込めて通した道を抜けて取材に伺っています。5回シリーズの番組、ぜひ聞いていただければと思います。
今回向かったのは岩手県宮古市。大津波警報が出される中でも、道路のがれき撤去を行った三好建設でお話を伺いました。山崎さん、小川さんのお話に出てきたのが、重茂(おもえ)半島にある向渡橋(むかいわたりばし)。津波で流された橋で、小川さんたちは応急工事を行い、生活道路を確保しました。
当時の様子を住民の方に伺えないかと、私たちはインタビュー後に向渡橋に車を走らせました。重茂半島から重茂漁港に続く道を折れると、長い長い下り坂が続きます。実は全国津波合同調査チームによると、ここ重茂姉吉地区に押し寄せた津波は40.5m。調査した3,600か所のうち最高到達地点だったそうです。
一体どこまで津波が来たのだろうかと思いながら進むと、海が見えてきました。
漁港に向かう道で、釣竿を自転車に乗せて走る一人の男性と出会いました。お話を聞ける場所がないか尋ねると、漁港のすぐ横にある、あわび種苗センターへ案内してくれました。
アワビは昔から重茂の重要な産業で、とても大きな建物の中にはずらりと水槽が並びます。作業している女性たちに伺うと、震災当時は橋がなくなり仕事にも行けなかったそうです。
さらに、向渡橋のすぐ近くにあるコンブ種苗センターにも行ってみるといいと聞き、そこで出会ったのが木村さんです。震災当時、木村さんは仙台の大学に通っていましたが、3月11日は春休みで、コンブの作業を手伝おうと重茂に戻っていました。そのまま被災し、向渡橋を渡った集落に住んでいた木村さんは買い物に行くにもとても不便だったと記憶していました。木村さんはその後地元に戻り、現在は重茂で働いているそうです。
重茂漁港にはこの日、数多くの船が係留されていました。3月11日、重茂に押し寄せた津波は黒く濁った水ではなく、鮮やかな青色だったとある記事で読みました。ワカメやアワビなど豊かな海産物を育むために、長年かけて地域の方々がきれいな海を守ってきたからだそうです。
震災で甚大な被害を受けながらも、その思いは今につながり、多くの人が地域の海を守り、地域の海と一緒に生活している姿を感じられる取材になりました。お話を聞かせてくれた皆様、ありがとうございました!
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