東日本大震災から10年「3.11伝承ロードをめぐる」

取材後記

宮城県仙台市

津波で自宅が流されてしまった。
しかし、復旧作業にあたる現場作業員へ、機材や燃料、食事を送り続け気仙沼の復旧を後方から支えた。
あらゆるものの調達が困難な中、仲間から支援の食糧や燃料が届いた。
そして、自宅があった荒浜地区のガレキ撤去を担当する。
津波で流された自宅の跡地に現場事務所を建て、作業が早く進むよう注力した。
「地元の建設会社が地域を守って行かなければならない」と語る建設関係者に震災当時の経験を聞いた。

(株)深松組

ナビゲーター:宮田敬子

※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。

取材後記

ナビゲーター
宮田敬子

今回の取材途中に、深沼海水浴場にも立ち寄りました。震災から15年たっても、あの日の夜、ラジオから流れた耳を疑うような音声が忘れられず、なかなか足が向かない自分がいました。それでも砂浜に立つと、太陽に照らされてキラキラと美しく輝く水面を前に、思わず美しい…と言葉が漏れます。時に自然は人間の力ではとても抗えないような猛威をふるうということを改めて強く感じる風景でした。

その深沼海水浴場から200mも行かない場所にあるのが、震災遺構「仙台市荒浜地区住宅基礎」。すぐそばにある荒浜小学校に続き仙台市の2か所目の震災遺構として整備された場所です。地面は大きく削り取られ、土地は砂でおおわれています。津波は堤防や家屋にぶつかると、そのまま乗り上げることでさらに高くなります。その水が地面に落ちるので、とても大きな力になり、荒浜地区の浸食は2mにも及んでいました。地面がえぐられては、建物は立っていられません。頑丈なコンクリートの建物も、壁は壊れ斜めに横たわっていました。

もし自分の自宅がこんな姿になってしまったら、それを受け入れるのにはとても時間がかかるでしょう。それでも、今回お話を伺った田村さんは、基礎だけになってしまった自宅の場所に事務所を立て、地域の復旧工事に自ら力を尽くしました。

同じ地域の住民である田村さんだからこそ、住民の皆さんの率直な声にも耳を傾け、そして皆さんに寄り添って作業を進められたのではないかと思います。地区の住民の方にお話を伺っても「深松組の人たちが来てくれてありがたかった」と、震災から15年たった今でも会社の名前もしっかり記憶してお話してくださいました。

今回の5回の取材では、大きな幹線道路の復旧作業だけでなく、地域の細い道もいち早く作業に当たったお話を多く伺いました。あの日まで当たり前にそこにあり、帰り道など間違えるはずもない我が家。それが津波により景色が全く変わってしまい、どこに自分の家があるかわからない。そして、自宅が見えたとしても、がれきでたどり着くことさえできない。その状況はどれほどもどかしいものだったでしょうか。それが分かるからこそ、自分自身も被災しながら、いち早く一歩踏み出した建設会社の皆さん。

震災から15年という数字に、何か区切りのようなものも感じますが、取材の中では「まだまだ復興の途中」という言葉もいただきました。

震災後を知らない世代もこれから増えていきます。私の息子も震災の年に産まれた14歳。震災を知りません。これから自分自身に何ができるのか、何を伝えなければいけないのか、改めて考える取材になりました。皆さんにとっても、この番組が防災意識の高まりへの一助になっていれば幸いです。お聞きいただきありがとうございました。

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