東日本大震災から10年「3.11伝承ロードをめぐる」

取材後記

宮城県石巻市

地震発生の瞬間は三陸道の工事現場にいた。
作業員の安全を確認して本社に向かうが、津波に阻まれてたどり着けない。
生後間もない子供と妻のいる病院も浸水地域にあった。
さらに自宅アパートは跡形もなくなっていた。
大きな被害を受けた石巻市で、自ら被災しながらも土木のプロとして、
道路啓開、ガレキ撤去と地元の復旧にあたった建設関係者の体験を追う。

若生工業(株)

ナビゲーター:宮田敬子

※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。

取材後記

ナビゲーター
宮田敬子

石巻には家族が数年間住んでいたこともあり、震災前から定期的に訪れる場所でした。

震災があったあの時、大街道地区が津波で大きな被害を受けたと聞いて、ただただ驚き、石巻の知人の無事を祈るばかりでした。

今回伺った若生工業さんは、その頃、仙台から石巻駅に高速バスで向かうときによく通っていた、牧山道路を石巻駅方面に折れた場所にあります。

お話を伺った佐藤さんは高校時代インターンで若生工業に行き「この会社で働きたい!」と入社を決めたそうです。そこから常に現場に立ち県内各地の道路工事に携わってきました。お子さんとドライブでトンネルなどを通った時に「お父さんが作ったんだ」と伝えると、子供達から「すごっ」と言われたとうれしそうに話してくださいました。

地図に残る仕事に誇りを持っているという佐藤さん。その強い思いは、震災で自身が大変な状況に置かれても変わりませんでした。

佐藤さんには3人のお子さんがいますが、一番下の娘さんの誕生日は2011年3月9日。震災の2日前です。奥様と娘さんがいる病院は津波の被害を受け、震災後、連絡もつながらない。どれだけ心配だったでしょうか。それでも上の2人のお子さんが無事だとわかると、佐藤さんはすぐに復旧作業に向かうことを決めます。それが当然であるかのように話していらっしゃいましたが、もしも自分だったら、簡単に動けるとは思えませんでした。建設の現場にいらっしゃる皆さんにとって地域の道路に対する使命感と言うのはとても大きいのだと改めて感じました。

そんな佐藤さんが、奥様のいる病院にたどり着くことができたのは、震災から3日後。

病院までの道もがれきに覆われ、最後は自転車を降りて歩き、ようやく病院にたどり着くと、上の階から声が聞こえたそうです。急いで階段を上り、ようやく奥様と再会できた佐藤さん。その時の会話を伺うと、奥様から一言「遅っ!」と言われたと、佐藤さんは笑いながら話してくれました。短い言葉ですが、奥様のほっとした気持ちが伝わるような気もしました。出産の2日後に病院で震災にあい、津波により動くこともできず過ごした数日間と言うのは、普段よりも何倍も長く感じられたのではないでしょうか。

その時生まれた娘さんは中学生に、そして息子さんは高校になり、父である佐藤さんと同じ道を進もうとしているそうです。佐藤さんは震災後も県内各地の復旧工事に携わっています。地域の人たちが「いつもの街」と思える場所を守ろうと、佐藤さんが懸命に打ち込む姿はきっとお子さんたちの目にもまぶしく映っているのでしょう。

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